その頃、僕は九州の大学で教養部を終え、西武
池袋線の富士見台駅の叔父の家に、短時間では
あったが、居候して水道橋にあった研数学館学部
予備校に通っていた。
朝夕の通勤電車は超過密で、電車が池袋に着くと
連結器横の進行方向に向いたガラスの小窓が、人
の圧力でガチャーンと押し割れることが多かった。
その頃の池袋西口は駅前に大きな紙問屋さんだけが
目立って、裏通りにフランス座という映画館が健在
で、三越はまだ無かった。
一度東口に行ってみたいと、西口から東武デパート
のある東口への通路がある筈だと思った。
西口から左方向への道は、今と違って山手線の土手
に沿った暗い道で、一本の暗渠が線路下を潜って
いるらしかった。
暗渠のトンネルの手前でスカーフを被った女性に、
袖を引かれた。
「ねえ、遊びましょうよ」怖くなった僕は、来た
道を帰ろうとした。
「学生さんね。帽子貰っちゃうわよ」と僕の登山帽
を取って、トンネルに入って行く。
付いて行ったら、捕まる。
怖いから、そのまま引き返した。
定年退職後、西口の特許事務所に通った時代があり、
暗渠の在りかを探したが、ビルの谷間で見つからな
かった。