今朝、起き抜けに自分の小用後の始末をしていて、
ふと、ドイツ語の関口存男(多分ツギオと読むの
だろう?)の面影を思い出した。
大学在学中に青春の迷いで少しの間、東京で勉強
した。
その時、高田の馬場の神田外語学校でドイツ語の
関口先生に直接教わった。
背がわりに高く偉丈夫で、面長の顔の口から
「スプレッヘン」と、ウムラウト(ドイツ語特有
の発音技法)を口角泡を飛ばすように、力強く
発音された。
今思うと、もう相当なお年だったと思われるが、
65歳くらいだっただろうか?
殆ど、憧れに近く「慈愛に満ちた」関口先生の
授業を聴いたものだが、先生が旧帝国陸軍幼年
学校出だというのが有名だった。
今で言う小中高一貫校に相当する、幼年から
始まる陸軍士官学校だったのだろう。
僕が今まで会ったことがある陸軍幼年学校出
は関口先生と、旧新日本電気(富士通)の
松田部長さん、海軍幼年学校出は以前日比谷
交差点傍にあったパレス・ホテル・ビル地下の
ヤマガタ画廊の山形社長3人くらいであるが、
当時、原宿にあった海軍・海自の言わば同窓会
の最古老であられたようで、70歳台でしたで
しょうか?
いずれの方も人物に厚みと包容力を感じる方々
だった。
幼年期に、キチンと鍛えられることが大きい
のだろうと想像するのは自分だけだろうか?