2017年4月9日日曜日

’70年万博の頃(3)

’70年万博の頃(3)
 明石に工場があった会社と共同開発することになったレーダーの初回設計会議が舞子の旅館で開かれることになった。
両社の担当事業部長、部長、課長、主任、担当が泊りがけで顔見世を兼ねシステム検討をする会だった。
 業界はまだ余裕があったものと見え、全部で20名ほどが加わった。
新しいレーダー設計の主な点でわが社が提案した方式について論争があったりしたが、先ずは和やかな会だった。
ワシら最も若く生意気だった同僚二人は、彼が買った新しいカローラに乗って出来たばかりの東名高速と、名神高速を走って参加した。帰りに’70年大阪万博に寄ろうとの魂胆からだった。
マイカーで万博に行く人は少なかったのか、駐車に苦労した覚えもないが、馬鹿でかい太陽の塔と、凄まじい人数の印象だけが残っている。
夕方に出発した帰り道も交代運転で真夜中まで走ったが、電車もない時間、どうやって家に帰り着いたのかサッパリ記憶がない。
その頃ワシは、日産の弟の紹介で中古スバル360から新車サニーに乗り換えたばかりだった。