2017年2月25日土曜日

’70年万博の頃(1)

入社’62年後3年くらいは、防衛研究所の世田谷支所の委託研究として当時の主としての米国の技術動向を調査する仕事を命じられていた。

具体的には、毎日無線機技術部がある小向工場に出社すると、工場敷地の隣にある総合研究所(当時の)の図書室に行き、米国の電子通信部門学会の定期学会誌EEEジャーナル誌(まだ当時はEEEとは言ってなかったと思うが正確な呼び名は忘れた)の数年前からの記事を読み漁って「電子的カウンターメジャー(ECM・ECCM)」に関する記事を物色していた。
日本ではまだこの分野の研究は少なく、ほとんどの知識を米国からの文献から得ていた。

当時の米国が偉かったのは、米国内各メーカーや学会誌や技術誌の技術開示が惜しげも無くなされていて、日本にもメーカーや技術団体の発行する無料技術誌(Microwave誌など)が、当時既に米国内で流通していた各種波長のMicrowave導波管部品やハイブリッドTという位相器原理の部品などと共に工業規格などの知識と共に手に入った。


敗戦後、その頃ようやく始まったレーダー研究も米国MIT大学が戦時中著わしていたMicrowaveという教科書をはじめ、’70年には米海軍研究所のM.I.SKOLNIKをチーフエディターとする大冊「Rader Handbook」が出て我が国のレーダーも急速に進化を遂げた。

その頃、日本でもいわゆる不正規らしい「Rader Handbook」の「海賊版」がワシみたいなビンボー人でも手に入れられた。