2018年9月10日月曜日

北海道厚真の震度7地震に寄せて

2018年9月6日朝3時8分ラジオ深夜便のニュースが歌番組に変わった直後、厚真(あつま)地震の第一報が入った。
第一報は北海道安平町(あびらちょう)で、という速報だった。
厚真と安平は隣町だが、長い間静内まで日高路を車で通り抜けた道筋も、今まで地震があったことなど聞いたこともなかった。
日高路で震源と関係ありそうな所と言えば、静内(今、新ひだか町)と襟裳岬の途中にある浦河町沖のよく知られいる震源地があり、新冠(にいかっぷ)に噴煙のない泥火山と呼ばれる地質があること以外、広々とした農業地帯だと思っていた。

自分たちが開発から実用化まで手掛けてきたいわゆる
短SAMと呼ばれる地対空誘導ミサイルシステムの数々の実用試験を行ってきた第7高射特科連隊がある静内に車で出張するときの道すがらなのだ。
新千歳空港から早来(はやきた)を抜け厚真の中央になる町を抜け、安平を横目に見ながらシシャモで有名な鵡川の町で国道の鉄橋を渡り、門別(もんべつ)で日高方面に行く道と分かれ新冠、静内に至る。
この道筋を習得するまで何度か道に迷い、途方に暮れたこともあったが、途中の牧場や競走馬の様子を見に行ったり、ミルクハウスを見つけたりと、街道の歴史も見てきたと思う。

短SAMのプロジェクトが始まる前、最初に機械のTさんと静内に調査に行ってから、実に2,30年は経っただろう。

実に懐かしい自分たちの心のふるさとではある。

今般の地震はまだ余震が続いているようだが、犠牲になった方々のご冥福を祈り、被害にあわれた方々に一刻も早い復興を祈ります。

2018年5月20日日曜日

成田空港開設の頃

今日2018年(平成30年)5月20日は成田空港開設40周年記念日だという。
 丁度その頃は工事や反対運動の渦中にあった成田地区の近くの四つ街道地区の陸自高射学校校庭で展開していた短SAMシステムの試作レーダーの試験に、官でいう(会社員の労務借り上げ)で何週間か、ビジネスホテルに泊まって参加していた。
 新空港は開設したものの、デモ隊に襲われた新空港管制タワー始め工事に参加していたわが社の他部門の連中の様子や新聞やTVからも、いろいろの困難があったと見聞した。
 勿論新空港反対運動デモ隊に備えて、一般市民の地域への入場は厳しく制限されていた。
道路の検問所で航空券の有無や通行理由など調べられた。
こんな調子だから、出来たばかりの高級ホテルも宿泊客が無く、困っていたのであろう。
 仕事で近くのビジネスホテルに滞在しレンタカーで移動するわれわれにも誘いが掛かり、今では名のある高級ホテルにビジネスホテル並みの特別価格で泊まった思い出がある。
 あのような豪華宿泊は以来、北海道の洞爺湖沿岸の丘の上に出来たばかりで客寄せ割引の今のウインザーホテルに会社のスキー旅行で泊ったくらいだ。
 大ガラス窓のゲレンデの展望が良い一等室には、今ではワシらに泊まれる部屋ではない。

2018年2月21日水曜日

駆け出しの頃

今日2018年(平成30年)5月20日は成田空港開設40周年記念日だという。
 丁度その頃は工事や反対運動の渦中にあった成田地区の近くの四つ街道地区の陸自高射学校校庭で展開していた短SAMシステムの試作レーダーの試験に、官でいう(会社員の労務借り上げ)で何週間か、ビジネスホテルに泊まって参加していた。
 新空港は開設したものの、デモ隊に襲われた新空港管制タワー始め工事に参加していたわが社の他部門の連中の様子や新聞やTVからも、いろいろの困難があったと見聞した。
 勿論新空港反対運動デモ隊に備えて、一般市民の地域への入場は厳しく制限されていた。
道路の検問所で航空券の有無や通行理由など調べられた。
こんな調子だから、出来たばかりの高級ホテルも宿泊客が無く、困っていたのであろう。
 仕事で近くのビジネスホテルに滞在しレンタカーで移動するわれわれにも誘いが掛かり、今では名のある高級ホテルにビジネスホテル並みの特別価格で泊まった思い出がある。
 あのような豪華宿泊は以来、北海道の洞爺湖沿岸の丘の上に出来たばかりで客寄せ割引の今のウインザーホテルに会社のスキー旅行で泊ったくらいだ。
 大ガラス窓のゲレンデの展望が良い一等室には、今ではワシらに泊まれる部屋ではない。

2018年1月28日日曜日

厳冬で思い出すこと                     

今年は世界的にも厳冬だとか。
厳冬で思い出すのはミサイル射撃管制レーダーの試作機の初めての寒地試験を北海道千歳市祝梅の陸自第7師団基地内でやった時だった。もう40年くらい前だったろう。
その年も極端に厳冬だった。
いろいろなエピソードがあったが、毎朝試験場に着くと、ハットメントのドアノブが素手では触れない。
触ると手がドアノブに凍り付いてめくれるのだ。
温度計では-14,5℃だったが、新聞によると名寄で-30度だったという。
また、試験器材の基台に付けていた油圧水平脚が朝日が昇って日があたると、見る見る影側と日照側の脚に伸び差が出て、例えば1ミル(角度値1/1000)の基準が保てない。
温度傾斜が一様でないのには驚いた。

それでも、今年は首都圏近郊で朝-8、9℃を記録しているから厳冬というのも頷ける。

2018年1月11日木曜日

北海道日高山脈幌尻岳

夜中に目覚めてトイレに行った。
早く寝たせいか、日付が変わったばかりで、ベッドに戻らないでTVを点けた。
ちょうど百名山の北海道日高山脈幌尻岳特集だった。
幌尻岳に登ったことはないが、旧静内町の第7師団高射特科連隊に初めて行った頃の強烈な思い出がある。

そのころ、北海道知事は革新寄りの横道さんに代わったばかりで、特科連隊で新しいロケットの実用試験を始める環境は未知数だった。
砂川闘争などがあって間もないころだったから、自衛隊の官も試験に労務借り上げで参加する民=会社も騒ぎを恐れていたらしい。
わ々会社の出張員も旧静内町には泊まらず、隣の旧新冠町(ニイカップ)の古宿に泊まった。
特にその頃から静内には、競馬馬の市が立つっていたので、全国から博労が札束を立てるほどの金を持って集まるという噂で、静内の街は景気が良く見えた。 
ある朝、レンタカーで東静内の海浜の射場に行くと、連隊の人たちが実験のテントや器材に大きい対空偽装網(バラクーダ)を架けていた。
なんでも、札幌の北海道拓殖銀行の頭取さんが幌尻岳に単独登山してクマに襲われての遭難らしいというのである。
幌尻岳が静内の奥の日高ダムの更に奥にあるから、遭難救助ヘリや人員の基地になるらしいと知った。

そこで、実用試験が上空から見えるのを避けたのだろう。

その後、奥の日高ダムには何度もレンタカーを駆って危険な崖路や工事中の道を走ったのを思い出す。
タラの芽を採りに地元の人と更に奥に入ったことはあるが、幌尻岳には行き着けなかった。
しかし、TVの百名山のアプローチは全く違って、その頃鉄道があった終点の日高駅の方からだったようだ。
遭難を恐れてか、ルートは詳細には映していないように思えた。

あれから20年以上も経ち、毎年の第7高射特科連隊のミサイル発射実用試験は公開され、市長さんたちも招待されて一般市民も見学出来るようになったのだから、隔世の感がある。