2021年8月29日日曜日

僕の追悼簿・巨漢、鈴木重寿さん

  昨夜仲間から訃報が届いた。


鈴木重寿さん(90歳)元東芝小向特


殊無線機部長などを歴任。


小林亞聖さん張りの巨漢で明朗闊達、


麻雀好き、一方コロナ時代を先取りし


たようなアルコール消毒潔癖症なんに


でも触るとハンカチとアルコールで消


毒した。


 麻雀との対比が滑稽だが市川の神社


の出だという本人は平気。


祝詞と二重生活だと言われた。


 確か、早稲田の理工。



コロナ禍を先読む人や逝く秋ぞ






2021年8月21日土曜日

(94)リハビリ日記⑰ かもめーESSのこと 

  今回の16年振りの2度目の脳梗塞


発症で大きいダメージを受けたことに、


僕が勝手に立ち上げ維持してきた2つ


のホームページがある。


 僕自身の第1回脳梗塞を切っ掛けに


リハビリ生活を記録したホームページ


「テオとジンの家庭菜園」と、発病前


から県高校職員IT支援事業に参加した


退職者仲間が紹介してくれた英語に親


しむ「かもめ」という名のESS(イン


グリッシュ・スピーキング・ソサイエ


テイ)のホームページである。


 二つとも同じサーバー(インターネ


ットに乗せるための借り記憶装置)を


使っていたが、今回の発症で4ヵ月も


入院している間にレンタル料が払えず


「家庭菜園」は消去され、「kamome


ESS」は偶然生き残った。


 これを切っ掛けに、人生に区切りも


必要かと生き残った方も整理する気に


なった。


 kamomeESSは僕が参加した2003


年に、1990年ごろから参加していた


メンバーが古参の人の話から「設立は


1962年ごろではないか」という。


多分、横浜で最古のESSであろう。


 偶然現在最古の元会長メンバーが学


部は違うが僕の九大同期であった。


 今はハーバード大出身で理研勤務の


D先生、オクスフォード大出身の大学


教授のR先生で毎年新年会、花見会、


着物パーテイなどをやってきた。


 今回のコロナ禍で、活動が止まって


いるが、早い再開が望まれる。


 ホームページに代わってfacebook


に紹介されるので


「皆さん、kamomeESSをよろしく!


ぜひ顔を出してください」


kamome-ess.sakura.ne.jp  












2021年8月19日木曜日

(93)リハビリ日記⑯ スマホはドジばかり 

  スマホに手を出したのは数年前だっ


た。


持ち前の好奇心から、楽天の2000円/月


でスマホが持てるというキャンペーンに


参加した。


 それから2,3年経った頃、夏の2週


間を北海道千歳のステーションホテルで


過ごしていた時、階下にあった


Y!mobileの支店でワイフのスマホを求


めようと思った。


 その時魔が差した。


ワイフの新しいスマホだけ買えば良いも


のを、楽天のSIMをY!mobile に変えた


のが失敗の元。


最初の機種まで捨てることになってし


まった。


 経済的にも高価な方に移行してしまっ


た。


 次に起こったのが、今回の発作で起


こった僕の音声トラブルだ。


音声電話が無用になったので電話を解約


した。


すると、残ったスマホはWi-Fiも使えなく


なった。


 慌てて安いWi-Fiを探した。


facebookの宣伝でJ:COMの企画に乗った。


富士通の901Fを捨ててiphoneSM第2世代


に代える羽目になった。


 弟が後から教えてくれたNTTの格安SIM


両用を検討したかったが解約した後での


MNP番号取得は出来なかった。


 スマホに関して何から何までドジな自分


を笑ってやりたいこの頃ではある。









奈多


2021年8月9日月曜日

(92)リハビリ日記⑮ 話が人に通じないと言う切なさとは?

  この年になるまで、敗北や失恋、悔


しい思いも人一倍味わってきたことは


自分以外にはなかろうと、変な自負を


糧に生きて来たという思いがあった。


 16年前、2004年5月、初めて脳梗


塞になって足が萎え歩行困難になり、


利き手の右手が痙縮して使えなくなっ


た。


 昔は脳梗塞もくも膜下出血も含めて


脳内出血も分からないまま脳卒中と言


って生きていたら絶対安静と言う処置


が取られていた。


 幸に、僕らの時代はコンピュターを


使った電磁透視合成のCT画像が撮られ


るような時代になっていて脳梗塞を脳


卒中とは言わないし、社会復帰・いわ


ゆるリハビリも、緊急期を過ぎれば絶


対安静ではなく出来るだけ早いうちに


リハビリを始めるようになっていた。


 当時、脳梗塞発生時に出来るだけ早


く投与すれば、血栓が溶けて後遺症が


軽くなる米国で開発された新薬の日本


での認定がされていなかった。


 救急入院した横浜市の南部病院でも


リハビリ科は出来たばかりであったで


あろう。


 と言うのは日本で理学療養学会が生


まれたのが1962年ごろ、理学療養士


が生まれたのが1967年ごろと言うから


病院にリハビリ科が出来るまで相当な


時間がかかったのであろう。


 まず萎えた足は床の上から両ひざと


左手の3点をしっかり床に確保して、


起き上がる3点支持法を教わって、平


行棒の間に立って歩く練習、階段上


り下りなど3か月もかかった。


 腕の方も机の上に置いたタオルに


両手を置き、そのまま腕を伸ばして


向こう側の端まで押し進める。


 シャツを着る、ボタンを架ける練


習。


 小さい積み木を動かす練習など今


でもやている練習が主であった。


 言語聴覚士は恐らく制度になった


のが2000年当初だったろう。


 初任の若い言語聴覚士がいたばか


りだった。


僕の症状が顔の右半面に垂れ下がり


はあったが、軽かったのであまり苦


労しなかった。


 しかし、17年目に再発した今回は


随分事情が違った。


 基本の右麻痺に違いはないが、今


度は言葉の発音が出来なくなった。


同時に食べ物飲み物の飲み下しが今


までのようには行かなくなった。


 トロミで流動時間が遅くないもの


は気管の方に送られてしまう、いわ


ば誤嚥が通常化してしまった。  


 が、誤嚥はまだ良い。


トロミ剤を加えれば、何とか喉を通


る。


 言葉の方は発音が正しくないと伝


わらない。


大きい声で発音しないと聞き取って


貰えない。


息が切れて大きい声も出ない。


 骨盤矯正用のコルセットを胸まで


装着していると、肺活量も足りない


から声も出ないし、便も出ない。


 筆話が最後の手段だと思われるが


老衰で力も劣ろえた右腕の字は崩れ


てきた。


 元来16年前の後遺症対策手段に絵


と字は左手で練習しようとしたが、


書いた字を見ているとこれから左手


で書く字が右手字の訓練してきた経


験を超えられないと決心して、字だ


けは右手を取り戻そうと決心して、


まず自分の名と住所が右手で書ける


まで訓練し、その内思い立って写経


に使われる般若心經の写経用紙を使


って猛訓練した。


そうすると、字は右手と言う自然体


が生まれていた。


 今度の再発症で養老OT.先生と体


を立ち位置に縛り付けるスタンドに


固定しながら右手鉛筆で般若心經を


模写してみたが、何回かに分けて全


部模写できた。


 声の方は練習で、そう上手く行く


かはわからない。


箱根のバスでコロ付きラッゲージの


転がりを助けてやった上海勤めのマ


レーシアの華僑青年と台湾漢字の筆


談交えの英語会談で中国の現代絵画


事情を知ったが、漢字の発音は出来


なかったから、言葉とは言えない。


 また、2,3年前に英語発音練習用


に買ったpocktalkと言う手持ち翻訳


機を使って発音練習が出来ないか?


などアイデアもあるが、まだそんな


時点ではない。


 日本語ではパ・ラ・カ・などの舌


の先が前歯の裏側にあって発音して


舌が前方に跳ね上げるか、奥の方に


移動するかが上手く行かないと聞き


取れない発音が難しいとされている。


 この練習も大切だろうが、面白く


ない。


 般若心經を唱えてみるか、テレサ


テンの「つぐない」をうたってみる


か、シナトラの「マイウエイ」の英


語にするか、怪しいスペイン語の


「マラゲーニア」か「キサス・キサ


ス」か、面白い言葉発声に挑戦して


みたいものだ。



2021年8月6日金曜日

(91)リハビリ日記⑭ 一日中、車椅子上の生活は?

  朝ベッド上で目覚め、前夜ベッドに


寝転ぶ目まで乗っていたwhillと言う名


の電動カートの上に乗り移ります。


 病院と同じような頭と足、ベッドの


高さがモーターで変えられるレンタル


ベッドからベッド枠柵を少し直角に伸


ばしてベッドに横付けしたwhillの前の


立ち上がりの安定支えにしてエイッと


立ち上がり、左右の足の重心を確かめ


ながら向きを座席方向に変えて、whill


の座席に座ります。


 デイサービスに行く車椅子に乗ると


きはwhillの座席の足元板を跳ね上げて


直接床に両足で立って、前の柵をハン


ドルにして、whillをどけて車椅子の座


席が位置に来るまで待ちます。


 結局、後は車椅子かwhillの座席の上


が居場所です。


 パソコンの前か、食卓前か、平行棒


に向かっているか、トイレか、机の前


で立ち上がることすら、冒険なのです。


 昨日は、届いたプリンターを妻の手


を借り開封し、パソコン机までwhillの


前の膝に置いて運び、何とかデスクト


ップの上にずり上げ、高か過ぎて操作


盤も見えないので、キーボードの左に


再配置するなど、一本半の腕を駆使し


てどうやら設定が出来ました。


 非常に簡潔な構造でプリンターとし


ては優れていると思いました。


 しかし、問題もあり、不満。


 ああー、椅子に座ってみたいなー!


 リクライニングチェアーに座りたい。


公園ベンチでスケッチしたい!