2008年12月28日日曜日

平成元年のころ

 居酒屋えびすやのカウンターで焼き鳥を肴に飲んでいた。頭上の小テレビが昭和天皇の病状を伝えている。夜な夜な飲み歩いて・・・・・・、小遣いには不自由しなかったが、仕事も家庭も問題ばかりで、心は暗く救いもなかった。えびすやのママさんは浅草生まれ、女学生当時の空襲で命からがら生き延びた話をよく聞いた。店を手伝う気心の優しい高校生の娘さんは日産に就職が決まったと笑顔一杯だった。

 テレビは天皇の容態が重いことを伝えていた。繰り返す輸血でほとんど望みがないと思えた。仕事の上では、すでに装備の配備が進んでいて、JDA各部隊の幹部との会合が多かった。

 他社がプライムのSAM-Xの配備も始まっていた。われわれの経験を開示し、交換のようにしてM工場を見学した。

 どういうわけか、平成元年の頃の印象はそんなものだ。平成20年(2008年)の暮れになって、はるかな昔を思い出すてみるのも一興か?