2011年11月12日土曜日

1960年代はアメリカから学んだ

われわれが入社した1960年代は、日本の技術レベルもまだ途上国並だった。
例えば、レーダー技術でも、その中でもマイクロ波技術も、すべてアメリカに学んだ。

例えば、レーダーの技術はMIT(マサチュウセッツ工科大学)の戦時中の名著「RADAR HAND BOOK」に依ったし、時々刻々の現代技術はアメリカから来るBSTJ(ベル・システム・テクニカル・ジャーナル)はじめ、民間技術雑誌などに依るところ大きかった。
「マイクロウエーブ」誌、「マイクロウエーブ・ジャーナル」誌、「エレクトロニクス」誌、「IEEEジャーナル」誌、などなど、アメリカの現在技術が惜しげもなく入って来た。
大抵は、マイクロ波回路に使う部品(移相器や、マジックティや、サーキュレーターなどの導波管立体回路部品やXバンドやミリ波の精密導波管などの)の分厚いカタログが付いており、各種の技術データのチャートもふんだんに手に入った。日本の技術がいち早く伸びてきて、部品が必要になってきた査証だろう。

その頃、三鷹の天文台では、Cバンド(5GHZ帯)の各地の気象レーダーもやっていたが、天空の雑音レベルなどを大きいパラボラアンテナを使って測定していたが、ある年の夏だったか、BSTJ誌に、 当時画期的だったと言える「低雑音パラメトリックアンプ」を使った宇宙探査の記事が、われわれに衝撃を与えた。Xバンド(10GHZ帯)のアンプのNF(ノイズ・フィギャー=熱雑音に比較した信号検出の最小レベル値)を当時数デシベルの超低雑音パラメトリック・アンプで克服したと言う。一気に宇宙に目が開いた時点である。
Xバンドのパラメトリック・アンプには2倍の周波数のポンピングというエネルギー源が要る。当時はこの帯域の導波管や部品は総て輸入に頼っていたと思う。半導体ダイオードに印加したXバンド波に2倍の周波数を重畳すると、ある条件で負性抵抗が生じXバンドの波が低雑音で増幅される。

総研(東芝)では、林研で、村上純造さん(尾道高→東大の秀才だったが、残念ながら早世された)が取り組み始めた。徐々に必要帯域の開発をした。自分も社内留学の格好で、毎朝小向工場からお隣の総研へ通って、当時担当していた戦時中の米国製のLバンド分解可搬型サーチレーダー(LPS-1)のNFを改善して捜索距離を伸ばす実験をした。
4角いボックス型に納めたアンテナ部、送受信部、指示器部、などの人力で容易に運べる可搬のユニットを、移動先で縦に積み上げてパラボラアンテナをつけると、航空機捜索レーダーになった第2次大戦時代の名機であった。


以来ほぼ半世紀経った今、宇宙開発は急速の進歩を遂げているし、あれほどの沢山の技術開示をしてくれたアメリカも、技術開示を止めているかに見える。放送大学の講義によると、新しいチリの天文台や、ハッブル望遠鏡などの宇宙探査の周波数は既に何十何百GHZの領域になっているらしいし、日本の技術もアメリカに肩を並べるほどになって、
兄貴株のアメリカも世界中が競争相手になってきて、国が技術保護を始めたのであろう。
日本の技術者がコンピューター技術スパイの疑いで逮捕されたりした時代もあった。

それはそれとして、われわれを育ててくれたアメリカへの恩は忘れてはならないと思う。
(2011/11/11)