2022年5月11日水曜日

(102)リハビリ日記㉕ 老朽船豪沈前にドックかな

  

僕がホームページやブログで発信し始


めたのは、17年前に初回脳梗塞を発症し


3か月入院して右麻痺の後遺症が残り、


それまでやってきたkamomeESS英語ク


ラブや大学同窓生の水彩画クラブ明何会


の続行とリハビリ闘病生活を続ける覚悟


からでした。


16年経って思いも掛けなかった再発症で


構音障害や誤飲障害歩行障害が加わり、


何とかここまで辿り着きましたが、ここ


から先は「飛ぶ鳥は後を濁さず」ように


して置くのが正しかろうと決断しました。


今後はブログの更新はしませんのでこれ


をもちまして本ブログを終了したいと思


います。


長い間読んでいただき有難うございまし


た。





2022年3月10日木曜日

(101)リハビリ日記㉔ 長崎の「ひまわり窯」竣工のfacebook投書に寄せて

  本日のfb友松本由利さんのピザ釜?


「ひまわり窯」での方々との交流の投書


に強烈に思い出すことがありました。



 ご存知の方がどのくらい居られるか分


かりませんが長崎医科大学で原子爆弾に


直撃された永井隆博士です。



当時博士は長崎医科大の放射線科の助教


授になって間もない放射線の専門家で原


子爆弾開発の存在は気が付いておられた


ようですが、爆弾が実際に使われたのを


見て、まさか!と思われたそうです。



 死の直前「長崎の鐘」と言う渾身の原


子爆弾遭遇エッセイを書かれました。


僕と同じ世代の誠さん茅乃さんが居られ


まして「この子たちを残して」と言う悲


痛な思いも書かれています。



 ロシアの特有な傲慢性で為政者が核を


平気で脅しに使う状況に、博士の反骨魂


が甦ったような気がしました。

 

 もう一度、プーチン他我が国の国会


議員たちにに博士のエッセイを読ませ


たいものです。







2022年2月4日金曜日

(100)リハビリ日記㉓ デイサービスの日々 

  僕の場合毎週一回・日曜日の朝8時


過ぎに送迎車が迎えに来る時刻を知らせ


る電話がかかって来る。


利用者はほぼ決まっているが、その日の


体調や都合もあるし、新入者もあるので


迎えに巡るコース組が大変だろう。


 送迎車にも車椅子2台8人(運転者含


む)や車椅子1台5人、車椅子なし5人


などがある。


 家で準備の上電動車椅子で待っている


と大抵運転者と介護者二人組でやって来


る。


 電動車椅子ウイルをベッド脇に留めて、


手摺を前に自力で立っていると介護者が


ウイルだけを後進させ別の手押し車椅子


を当てがって呉れて乗り移る。


 居間から玄関まで付けたスロープで玄


関を出て、更に道路までのスロープで送


迎車の車椅子リフトで乗り込み安全ベル


トで固定する。


 センターに着くと迎えの職員が手伝っ


てその日の座席に車椅子を付ける。


送迎車内で既に検温とマスクチェックや


手消毒は済んではいるが、看護師が血圧


計などを持ってきて記録する。


 やがて風呂の順番が来て脱衣所でそれ


ぞれの身体条件に合わせて洗い場浴槽


に合った流れ作業だ。


 一番残念なのが自分で髭剃るとき小さ


な出血があると看護師が飛んで来て機械


式浴槽入りが停止になる。


感染症保護のためだ。


シャワー湯で体を温めてくれるが残念!


 お昼の前に体操がある。


誰もが違った部位の障害があるが出来る


範囲で屈伸し日にち確認や献立お八つな


どの説明を聞いてそれぞれ食べる。


補助者が必要な人も居る。


 昼食後大ミラー前の洗面台で歯磨き。


みんなで職員たちが工夫のゲームや遊び


をするが自分は苦手なのでスマホで音楽


やトークかTVを見て過ごす。


 スマホやpcを使う人は自分以外に居な


いので当然のようにWi-Fi環境も無い。


将来的には必然だろう。


 トイレは人それぞれ歩ける人でも付き


添いが必要だったり、広いトイレ内で車


椅子を降りて着脱の補助を必要としたり


大体センターの介護者が把握しているよ


うだ。


 帰りの乗車やコースは朝と同じ日もあ


るし新たな日もある。


狭い道や車で大抵は知った道だが全く知


らない坂道もあって自分だけの場所当て


も楽しい。





2022年1月19日水曜日

(99)リハビリ日記㉒ 訪問リハビリ 

  もう店の名さえ朧の新橋の居酒屋で


仲間4人ひさしぶりに集まって程なく、


ロレツガ回らなくなって倒れた日から


およそ16年振りの一昨年の11月頃に


モノの言い回しに違和を感じた。


 今思うとアレが脳梗塞の軽い2次発作


だったのだ。


それ以来、発音が不良になり声で説明


できないので、南部病院に行くときも


予めドクターが問診するだろうなと想


定した問いに答える形の想定問診を


ワードで作って持参した。


 去年の3月初旬、何か予感があった


のだろうか年金額がほんの少し閾値を


超えるために介護保険の利用料が


「標準額の3倍=✖3」になると言う


後出しジャンケン詐欺の悪法で、僕の


老後は介護保険利用のいわゆる特養は


絶対に使えない(近所の特養でパンフ


レットを見ると✖3レベルの料金はお


よそ¥70万/月)と覚悟せざるを得な


いので家で総て介護を受けねばならな


いと覚悟で家のバリヤーレス改装と道


路から屋内へスロープ化の構想図をワ


イフと話している時、急にロレツガ変


になった。


 僕は直感し、救急車を呼ぶよう頼ん


で訝るワイフを無視して入院準備をし


始めた。


 案の定、それが今回4か月入院の3次


脳梗塞発作だった。


 2次発作の後、どこかで尻餅を搗い


たらしく骨盤に圧迫骨折があるようで


リハビリ病院でリハビリを受けようと


車椅子に座って30分も経つと猛烈な腰


痛が出てリハビリにならないので、去


年の6月末に退院してデイサービスと訪


問リハビリをそれぞれ毎週2回に切り替


えたものの、✖3料金は厳しく今はデイ


サービス毎週1回の入浴、訪問リハビリ


毎週1回の歩行器歩き訓練しか出来ない。


 介護保険が始まった後で、何の説明も


無くどさくさ紛れに利用料✖3を可決し


た世で言わば介護保険詐欺は悪法であ


る。





2021年11月17日水曜日

(98)リハビリ日記㉑ 訪問歯科診療 

  前々から、駅前のIU歯科医院に通


っていた時、院内ポスターに「歯科の


訪問診療案内」があって、他人事と思


って漠然と眺めていたが、こんなに直


ぐ自分事になるとは!


 長年通っているその歯医者さんは


東京医科歯科大出身の院長以下、その


後輩たちが診療する診療台が4台ほど


並んだ完全予約制である。


 院長先生は大声の歯にモノ着せぬ言


い方のガラッパチ先生に見えるが、腕


の確かな先生だと見える。


それが証拠に、弟子の先生たちも仲が


良く、腕が良い。 


経験上、処置した虫歯、入れ歯は問題


が残ったことがない。



 最近の脳梗塞再発で歩けなくなった


上、構音障害とこれに伴う誤嚥現象が


出た僕は電動車椅子から降りて歩くこ


とが難しい。


団地にあるその歯科は玄関直ぐに框(


カマチ=床の先端)の床で、カートで


玄関先に行けても床の診療台に辿り着


けない。


 歯科医院を変える案もあろうが、長


年のカルテがある歯科を代えられない。

 


 初めて本日、従来からの担当である


長坂女先生と助手さんが診療に見えた。


 パソコンに入れた想定問診を合成音


で読み上げてくれるソフトで、虫歯状


況の話を聞いて貰って診療が始まった。


 診療の基本のレントゲン撮影はどう


するのだろうと心配していたが、僕が


魂消たことに工具箱程度の大きさの女


先生が持ち上げることが出来る重さの


簡易レントゲン撮影機があるのだ!


 19世紀末にレントゲンがX線を発


見して120年余の今、あの高電圧を掛


けて発生させていた大きい装置が携帯


の現実になっている!


僕の勉強が足りないのも確かだが、化


石人間ギャートルズ、時代遅れを悟っ


た。





2021年11月15日月曜日

(97)リハビリ日記⑳ ノベンバー・ソング 

  前回、9月にセプテンバーソングを


書いてから、瞬く間に11月、しかも


中旬を過ぎた。


遅々としているようだが、リハビリ成


果も進んだ。


 例えば、毎日PT.、OT.、ST.などの


途中で痛くなっていた腰部の圧迫骨


折由来と思われた腰痛が、減って来


たし、誤嚥防止の食事も要領が分か


って来た。


 whillカートを使って今のところ洋

   

光台や港南台、上大岡くらいまでは


往復出来る位になったし、Whillでト


イレに行けて、何とか両足で立って


紙パンツやズボンを着脱できるまで


になった。


しかし、尿取りパッドを使う時はパ


ッドとパンツの間にマジック接着テ


ープが付いていないタイプの場合は


呼び笛で手伝ってもらう必要がある


のが情けない。


 Whillに乗っている間は、床にモノ


を落とすと拾えないから、一昔前の


モク拾いが使っていたような自在掴


み棒を使う。


初期には孫の手を使ったが、やはり


掴む機能が必要である。


 家の内外は家族の理解で大改装を


して貰って,大体Whillで行けるが、


洗面所と台所には入るまではイイと


して入ってUターンが出来ない。


バックで狭い扉を引き返すのは至難。


早く手押し歩行器で常時動けるのが


理想的。もう少し! 


 一昨日、中野、相川君が中村先輩


を連れて陣中見舞いに来てくれた。


中村さんに会うのはもう10年振りか


も。


相変わらず千葉の別荘・畑には行っ


ているらしいが、仙石原には度々に


は行けないと言う。

 

 相川君の最近研究の成果をパソコ


ン+TVで披露してくれた。


 日本の将来はこのままズルズル後


退していくと、危ないのが分かった。




2021年9月30日木曜日

(96)リハビリ日記⑲ セプテンバー・ソング 

  思えばつかの間の夢現だったのかも


知れない。


今年3月、老後を考えて家の整理と改


造を思い立って、構想設計に取り掛か


った矢先、言葉が怪しくなった。


家の前庭に車いす用のスロープを付け


る構想図を前にワイフとディスカッシ


ョンしていた自分の言葉が急に通じな


くなったのだ。


手足に異常は無いように見えたが、自


分には予感があった。


まさか!と訝るワイフに直ぐ救急車の


手配を頼んだ。


救急車が来て、救急隊員に支えてもら


いながら自力で歩いて救急車に乗った。


一応の応急処置が終わって入院ベッド


に落ち着いたころには、完全な入院患


者になっていた。


しかし、足が萎えているとは気づかな


かって、直ぐに歩けると思っていた。


 16年前の1回目の脳梗塞入院と違


って、今度はリハビリは専門病院に転


院して行うシステムになっていて、1


ケ月前にリハビリの磯子中央病院に転


院し、PT.OT.ST.の各リハビリ部門の訓


練を約3ケ月受けた。


 その間、骨盤損傷に掛かると思われ


る腰痛で訓練もママならず、病院での


訓練を諦め、自宅で過ごしながら訪問


リハビリを行う方法が経済的だと思う


ようになって有馬先生をはじめ病院の


スタッフの方々に無理な我が儘を聞い


て頂いて退院して約3ケ月経った。


 再発から都合7ケ月、夢のような日


々が過ぎた。


腰痛は残ってはいるものの軽くなり、


覚束ないものの2本足で立って居られ


るようになり、ウイルで3,4km範囲な


ら外出も可能になり、トロミ食にも慣


れてきたこの頃、夢現ながらも過ごせ


た恩恵を感謝するばかりである。


 気が付けば、9月尽、セプテンバー


ソングが聞こえる時期が行こうとして


いる。