2007年10月31日水曜日

七賢人事件

 研究所の室長は穏やかで面白い方だった。われわれにとって「世紀の」と言ってよいほどの大事件だったが、ビリビリとしているわれわれを笑わせるほど余裕がある方のように見えた。われわれが数社の力を合わせて開発中の機材が装備されるかされないかをテストされるノッピキならない局面に達していて、明日はそのテストの日だという夜は昼間一日中リハーサルや問題解決に夢中になっていて疲れ果てて余裕などあろうはずもない。ここ1週間というもの近辺の旅館に泊まってここに通いつめているのだった。
 「七賢人」といわれる有識者の面前での首実検であるから、失敗など許されるものではない。山ほどあった問題点も少しずつ解決してきたが、まだ完璧とは行かなかった。が、ついにその局面の日になったのである。隊員が操作するFCS、LCHなど入場から機材展開、飛翔体入りコンテナー搬入、コンテナー開、飛翔体自動装てん、擬似目標機飛来、FCS捕捉、ロックオン、LCHスレーブ・・・・・・一連のシステム動作を披露する過程で、何度かに一度は自動装てん動作の途中で飛翔体のシューをキャッチアップする動作が上手く行かない事象が出ることがあった。隊員はすでに諸試験に参加して熟練している。とはいえ、問題が発生したとき応用動作で対処するほど期待はできない。
 「民間人」のうち応用動作に長けた隊員服の男を1人、控えのテントに待機させておいた。
 擬似発射行程が進み、装てんになったとき、隊員の動きが一瞬止まった。待機の助っ人隊員がLCHの背後、観客からの死角になろうかという目立たない位置に予定していた伝令のようにスルスルと走り寄り、シューのキャッチアップにオマジナイをかけた。発射準備行程は何事もなく進んだ。
 システム展示は大成功であった。七賢人の「おおむね良好」という評価もいただき装備化のきっかけになった。あの問題点もまもなく解決できた。
 その夕、研究室に戻られた室長はお疲れもないかに見え、非常に喜ばれてわれわれをねぎらっていただいた。工学博士の室長はいささか武人離れの面影があった。やがて教育隊の校長に栄転され、官舎に隊員用のカラオケセットを設けるなど、親しく部下の育成にも努められておられると伺い、そのうち伺おうと思っていた矢先、官舎で急逝されたという訃報に接した。 懐かしく思いで深い学者肌で磊落な陸将であった。