2020年7月20日月曜日

㊶ スロウニンひまつぶしウエブサイト顛末記

16年前の脳梗塞麻痺後遺症になりたての頃の

思い出を今一度、振り返ってみるのも経験者の

責務かも知れません。

発病したのは、友人と久しぶりに集まった新橋の

親しかった居酒屋で、飲み始めて直ぐにロレツが

廻らくなり友人の判断で横浜の自宅までタクシーで

返ったのが幸いでした。

倒れて入院して数日で麻痺状態になりショックで

半ば自暴自棄、自分をスロウニンと呼び、ひまつぶし

ウエブサイトを作って闘病仲間を募ろうと思いました。

 会社の仕事を卒業したら、暇な時間を好きなことを

して過ごそうと思っていました。

しかし卒業して暇がありそうでも、何かしら仕事を作り、

暇があるとプールに行き運動しサウナに入っていました。

ところが、いざ脳卒中で身体が思うように利かなく

なってみると、ほかの仕事を手伝うどころか、自分の

ことも満足にできなくなりました。

脳卒中の後遺症は各人それぞれ異なりますから、

見掛けは同じように見えても悩みは皆違うようです。

























何かの時の参考までに私の体験を記してみます。

入院中の毎日はベッドから車椅子に載せられて

リハビリ室に行き、脳の中の記憶や言葉や判断力

に失われた領域がないかというチェックを受け、

脳の運動に関する領域のリハビリも始まります。

言葉はダメッジはなかったのですが、顔面神経

系のため発音がうまく行かず、足は立つことも

出来ず、右手は全く制御が出来ません。

情けないことに車椅子を2本の平行棒の入り口に

入れてもらい、平行棒にすがってどうにか車椅子の

前に立ち上がり、立っていることがやっと。

やがて棒にすがって歩いてみる、そんな練習を

毎日少しずつやる期間もありました。

手と足、それぞれのリハビリを指導してくださる

理学療法士、作業療法士の先生と、脳の機能の

主として言語に関する言語聴覚療法士の先生の

毎日の訓練のおかげで少しずつ少しずつ機能が

回復しました。

麻痺側の肩の肩甲骨の奥のほうが痛くて眠れない

日が1ヶ月も続いたりしましたが、リハビリのおかげで、

自分たちの身体がどんなに巧妙な仕組みに作られ

ているか、いったんバランスが崩れるとこれの回復には

どんなに時間や労力を必要とするかを実感しました。

一時は車椅子生活を覚悟しましたが、3ヶ月の入院と

6ヶ月の通院リハビリのおかげで、片麻痺の後遺症は

残りながらも独りで歩け、手摺がありさえすれば階段

を昇り降りでき、バスや電車にも乗れ、左手だけで

大抵のことは出来るようになりました。

家の中でも絶対に転ばぬようにスロウですが、今は

感謝、感謝の毎日です。

障害を持って一日中家にいて、頭はボケてなく

(と思っているだけかもしれません)体が満足に

動かないとなると、暇な時間が生まれる、というより

暇ばかりになります。

家の人に愚痴ったり、辛く当たったりして相手に

迷惑を及ぼし、自分も滅入り、果てはウツになる

のは叶いません。

ビッコで運動不足になるのも心配です。

私の場合、寝ると楽なのですが、寝返りも満足に

出来ないので、ともすれば睡眠過剰になり、本当

に寝たきりになるのも怖い。

一旦転ぶと、怪我は無くとも、立ち上がるのに左手

と両ひざで三角を作り、その三角のままで腰を上げて

両足で立ち上がる、というほど苦労するようなビッコ

ですから、杖を突いてのゆっくりの散歩しか運動が

出来ません。

プールで歩くのは、その点安全で良いのですが、

プールに入る出る前後の準備、着替えや階段の

上り下りなどが面倒な上、床が滑りやすく危険な上、

プール・サイドの手摺でプールに入るのが一苦労、

飛び込むと浮くには浮きますが右麻痺でバランスが

取れず溺れそうです。

また、リハビリ練習にと写経をしたり、入院中から孫たち

に紙芝居を作ったりして、左手絵や字は少しは書ける

ようにはなりましたが、遅いし、疲れるし、字を書くのが

好きになれません。

知人から頂く励ましの手紙に返事を書くのに、病室に

持ち込んだ小型パソコンで、筆字フォントなどを使って

手書きに代える工夫をしていたので、左手一本指の

キーボード操作(ワン・フィンガー・タッチ)と左手

マウス操作でパソコンを使い慣れました。

丁度入院中に、家人の操作がまずかったのか、

パソコンがダウンしOS毎書き換える羽目になり、

全部ご破算になり、費用のかかるプロバイダー

からも脱退したチャンスに、8月に退院した年の

10月に、それまでに作ったホームページの残骸を

回復し組み入れ、介護人で付添い人でもある家内の

ページも加えて、新しいウエブサイト『テオとジンの

「アトリエ家庭菜園」』を開きました。

コンテンツには、それまで描いていたテオ・ジン

それぞれの水彩画、闘病生活エッセイ、会社での

仕事の思いで、孫たちに伝える僕のバアチャンの

教え、短歌や俳句や写真俳句や詩、創作、友だち

モンターニュおじさんの世界旅ポストカード、

いろいろな旅行記などなど、特にジャンルを決めずに

載せたオムニバスなサイトにしましたから、更新など

管理も自由で気楽です。

思えば自分の失敗ばかりの人生でも、生き様を遺言

の代わりに今はまだ幼い孫たちに残して置けたらなあ、

と勝手に思ってのサイトですから、自分が何時居なく

なっても、サーバーが見つからなく繋がらなくなっても

見ることが出来るように、ロック・クライミングの時の転落

に備えてザイルで身体の確保のために岩の隙間に

打ちこむハーケンのように、定期的にCDなどにバック

アップを取っておきます。

孫たちにはハタ迷惑かもしれませんが、見る見ないは

強制はしなく、残しておくだけで十分満足ですから

構わないのです。

何かの機会、いつかの年代で、ジジ・ババの生き様が

孫たちの参考になることがあれば嬉しい。