2020年7月17日金曜日

㉖温泉リハビリ放浪記

㉖温泉リハビリ放浪記

高校2年生のときに68歳で亡くなった父方の祖母は


温泉が大好きであった。名前はツジと言った。

そのばあちゃんとは多分自分が4歳の頃から高校生に

なって亡くなるまで戦前、敗戦、引き揚げ、戦後の

耐乏生活を祖母、父母と5人兄弟は(戦前は4人

兄弟)一緒に過ごした。

特に戦後は父の国策会社は崩壊し定職を失い、一家は

母の教職に頼っていたから、戦前戦後を通じて5人の

男児の母親代わりの役目を果たしてくれた、言わば

女傑であった。

戸籍では明治19年12月9日生まれの明治の女であった。

炊事家事万端、農業の手解きなど、万能選手だった。
















僕が5、6年生のときツジばあちゃんは足の筋肉炎

に罹り、ばあちゃんをリヤカーに乗せて弟と一緒に

1kmほど離れた吉野病院に通院したことがある。

この頃から、脚の湯治に汽車に乗って長門湯本温泉

に良く行くようになった。

D51機関車が客車を引く列車に長門人丸駅で乗り、

古市駅、黄波戸駅、正明市駅(現在長門市駅)と3駅

正明市駅で美祢線に乗り換えて板持駅、長門湯本駅

までの5駅目で歩いて15分位の温泉街に着く。

温泉街の真ん中の川の辺に恩賜湯という立派な構えの

公衆湯がある。

この建物は改築はあろうが今でも変わらないと思う。

十数年前に行く機会があり、懐かしいから入ってみた。

温泉の湯船の壁に、昔からのこのお湯由来の住吉様?

の小像が掲げられていたし湯船の深さも昔通り深かった。

子どもの頃は、何回か入っては出て洗い場で湯上りを

楽しんだりして、お湯で温まったところで温泉の小高い

裏山の上にある小さな住吉神社の祠の前に出る小さな

胸突き坂の小道をよじ登り、祠の前の石の上で持って

きたワカメお結びを包んだ竹の皮弁当を広げたものだ。

そのおいしかったこと、今でもコンビニのお結びが一番

である。

そして又、帰る前に温泉に入るのが習慣だった。

高校を卒業した年か、自殺した湯本の同級生のK君の

仏前にお参りに行き、級友たちと追悼文集「きく」を

出す相談をしたのもこの石の上だった。

彼はこの湯本に母親と住んでいた。

しかし、先年行ってみたところ、小さな祠は大きい神社

になり、石の場所は大きい広場になってたのには魂消た。

こんなわけで、温泉好きはばあちゃん仕込みである。


サラリーマン生活の終わりに近くなった頃、新しい工場

を作る計画に手を上げて、北海道に赴任したときは、

まだ元気だったから、暇があると車で温泉巡りをした。

近所には、恵庭温泉をはじめ定山渓温泉、古くからの

小金湯温泉、豊平峡温泉、支笏湖温泉、北湯沢温泉、

などがあり、ニセコ温泉や余市の山奥のフゴッペ温泉

などもそんなに遠くではなかったので、アパートの

お風呂を焚く間がなかったほどである。

北海道の温泉では殆どが露天風呂で楽しんだ。

建て替え前の旧い恵庭温泉では露天風呂のビニール波板

の屋根は、あちらこちら破れて雪の日には雪が舞い込み、

雨の日は雨粒が降ってきた。

それでも露天の風のさわやかさが魅力だった。

そんな時代から数年経って、何の因果か脳梗塞の病を貰っ


て、右片麻痺のおまけが付いた。
さらに、ありがたいおまけは、杖さえ突けばバスにも電車

も一人で乗って歩けたことだ。

しかし、自分は強がりを言ってみたところで、家のみんなは

ハラハラして見ているに違いない。

有難いことに、バスも電車も付き添い運賃も付けてくれる。

付き添いと二人で1人前。

つまり付き添いを付けてくれるのだ。

今まで日本全国を駆け回った車のゴールド免許証も、

当初「旋回付き」という補助具をハンドルに装着する

条件で書き換えることは出来たが、買ったハンドルに

付ける「旋回ノブ」を、ある日家人が「なくして

しまった」と言い目の前から消えてしまったのである。

妻も息子も「無くなった」と言ってちっとも探す気配を

見せない。要するに取り上げられたのだろう。

考えてみれば当然かもしれない。


健常者だった頃は、自分は運転がうまいとばかり颯爽と

乗り回してはいたが、チョコチョコうっかりミスが多

かったし、年を取って事故で人に迷惑をかけても困ると

思っているのだ。
観念して、免許書き換えの期限が来た今年、思い切って

書き換え講習に参加しなかった。

だから運転免許は自動消滅しただろう。















今は(2次再発までは)、横浜中の自分が使いそうな

路線バスの時刻表をインターネットで取り出し、専用

の時刻表集に纏めてあるから、バス路線があるところ

なら、どこに行っても困らない。

近くでは天然温泉「みうら湯」が手っ取り早い温泉である。

田谷の洞窟寺の近くのラドン湯という温泉にも行ってみた。

芹沢に「極楽湯」というのがあるそうだが、今のところ

動けるうちは、小田原からの路線バスで箱根・仙石原の

クラブ温泉を利用するか、強羅の会社保養所に温泉

リハビリに行くことにしている。

ありがたいことである。

 温泉で体を温めると、体中の血流が良くなり、思う

ように動かぬ右手、右足も動きやすくなるような気が

する。浮力を使って両手両足をゆっくりと全開する

ことも出来る。

それでも最初のうちは温泉の湯船に入るのが怖かった。

支持棒などに掴まっている左手を離すと溺れそうになった。

水泳は得意の方だがプールで歩いてもバランスを失うと

怖かったが、ようやく今頃になって倒れても浮いていら

れるようになった。

又、湯疲れもあるのだろうが、何といっても良く眠れる。

カバの様に一日中温泉に浸かっていてもいいと思う位だ。

例えばクラブでは朝6:00~10:00、夕15:00~23:00の

入浴時間にそれぞれ2回ずつ計4回は入ることがある位だ。

大抵半身浴で、キジやウグイスの声を間近に聞きながら、

ボーッとしているだけである。

北海道長万部(オシャマンベ)近くの「二股ラジュウム

温泉」には自炊で湯治を長く続けることが出来る長屋が

あるが、そんな生活も悪くないなあと思ってみたりする。

いえいえ、自炊でテキトーなものを食べて湯に入ること

が出来る、今で十分幸せです。

南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。

ツジばあちゃんもいつも唱えていたなあ。

(最近再発した脳のどこかの梗塞で、歩きと

運動能力に更なる劣化が認められるが、仕方

無かろうと折り合うのが良いと思う。

どう頑張っても、100歳まで生きることは出来ない

だろうから、宇宙の意志に任すのだ)