2020年7月23日木曜日

㊸ 遊びをせんとて

遊びをせんとや生まれけむ
                                
 とうの昔に定年になって、通勤が必要

ないのに朝早く目が覚めて「さあ今日は

何をする?」って考える日も多い。
 
ワイフには申し訳ないが「何を?」と言っ

ても家事の手伝いではなく「何かオモロ

イこと、遊び」なんである。


現役の頃、シゴトオタクで全く家のことを

省みなかったことはすっかり忘れ、賞味

期限を過ぎたポンコツ・ジイに残ってい

る楽しみは、「遊び」だけなんである。
 自分の言い訳に都合よく引き合いに

出すのが、平安時代に書かれた「梁塵

秘抄」と言う書物にもあるように、人間

「遊びをせんとや生まれけむ」である。

それでも、遊びが思い浮かぶ日は、

どちらかと言うと体調もまあまあ、気分

はポジティブで、天に感謝したい望ま

しい日ではあるのだが。

 脳梗塞で倒れてからもう16年になる。
 
机に向かってパソコンでインターネット・

サーフィン(一頃使った語)を楽しんだり、

自分のホームページやブログを編集

したり、本を読んだり、絵を描いたりし

ている室内遊びは出来るが、片麻痺

になる前に北海道で春秋やったゴル

フやテニス、冬は毎週やったスキー

など、体育系の遊びは出来なくなった。
 
スポーツ以外でも、北海道で毎日温泉

に入る癖が付いたので、家で遊んでい

るだけでは、ストレスが溜まる。


数年前まで趣味の水彩画を描く会の

面倒をみていて「人との会話」を定期

的に楽しんでいたが、指導の画伯の

急逝で止めたし、つい先日の2次梗塞

のため電動カート無しでは歩くことも

ママならぬようになると、杖を付いて

家の周りを散歩することも出来ない。

スキーなんて夢のまた夢である。

つい先頃まで、横浜駅(SOGO横)

直行の江ノ電バスに敬老パスで

乗って、美術館や画廊を覗き段差

のないフロアーを杖突き歩いて、

歩数を稼いだり、惣菜売り場でワイフ

の買い物に付いて歩くこともあった

が、利用者減でバス便も無くなった。
 
 他に、近場の温泉場にも無料の

バスで行くことも出来し、旅行社の

格安の交通費と宿だけのツアーに

参加して温泉を楽しむこともあったが、

このコロナ禍ですっかり事情が変わっ

てしまった。

7年前から、町内シニアー会の「グラ

ウンド・ゴルフクラブ」に入いり、近く

の一丁目公園で、子供たちが使用

しない月曜と金曜の午前、1週間に

2日は仲間が集まりのんびりプレイ

の後仲間と四方山話などを出来、

杖を置いて球を打つ木のパターを

持って歩くだけでも、リハビリ運動

にはなったがみんな高齢化で参加

者が減って来た。
  
ところで、話は飛ぶようだが、自分は

このように不具でも恵まれた運動遊び

場が見つかる境遇にあるから幸せだ

が、田舎にいる弟や友人たちはどう

しているだろうか?という思いが起こっ

てくる。

車があって、自分で運転できる人た

ちは良いが、出来ない人や自分のよう

に車の運転を止めた人たちが故郷

に住んでいると夢想して、遊びを計画

してみるのも、郷里の思い出遊びの

1つで、故郷の遊びの環境を開発する

ヒントになりはしないかと勝手に考えて

みたりする。
現役時代に赴任した北海道の恵庭市

に定住する積もりがあった頃、恵庭の

活性化に欲しい環境を考えて、地域

のコミュニティバスを提案したことが

あった。


 














今では、旅行の先先の加賀温泉の

キャンバスや、能登の和倉温泉の

ふるさとタクシー、病院通院に便利な

コミュニティバスなどのシステム例が

各所にあって、企画力の差が成功に

つながっているように見える。

さて昔、故郷の山口県の今は長門市

になった田舎のわが家の前の国道に

サンデンのバス停があった。

もう半世紀以上前だから、今もあるか

どうか怪しい。
早速インターネットで調べてみると、

数年前には、嬉しいことにブルー

ラインバスというのが走っていて、

田舎の小さいバス停でも詳しい時間

表がインターネットですぐ知れた。

経路の両端、長門病院前と大浦・油谷

島の長い路線に、朝7時前後から、

夕方17時台まで、工夫をして平日1日

10便程度のバスが走っていた。

主にお年寄りの通院用と知れる。

またバス停の名を読むと、昔の土地勘

から路線がわかる。

他にも加えて欲しい路線も考えられる

が、最低限このバスがあれば、不便

だった油谷湾の奥深く、川尻漁港に

住んでいるお年寄りも、街にある長門

病院にも一日がかりではあるが、通院

できるだろうし、我が家の前からバスで

新しく出来た油谷湾沿いの温泉にも行

けるだろうと想像できる。
長門市駅に出て、乗り継げば、祖母と

よく行った昔からの温泉地、長門湯本

温泉にも行けそうである。

昔に負けないほど田舎が便利になっ

ているのが知れて、嬉しくなった。

都会に住んでいる僕らだけが、楽を

しているのは申し訳ないと思うから。
 
こんな情報がパソコンで直ぐに手に

入り楽しめるのも遊びといえば遊び

で、こんな遊びが可能になった現代

に生きているのも、ありがたい。

思えば、われわれの世代は、祖父母、

父母が明治生まれ、叔父たちに大正

生まれがいて、自分ら親子が昭和で、

孫たちが平成生まれと、敗戦の時から

の日本の生活文化や科学進歩の急激

な移り変わりの先端をずっと経験し、見

てきたという思いがある。
自分は都会に死ぬとしても、遊び心を

忘れないで、故郷の今を思いやる気

持ちは持ち続けたいものだ。
                              2013/2/14第1稿、2020/7/23補稿

追記: 《16年前に「闘病記」と称し病後

に始めた自分のホームページに、

「つれづれなるままに」いろいろ遊びを

記録してきたが、読んでもらえれば皆の

何かの慰めになるかもしれない。

http://sakura.ne.jp/pcwnh186 

またはGOOGLEYAHOOの検索欄に

「アトリエ家庭菜園」と名前を入力して

「検索」していただければ、直ぐに見つ

かるはずである》