渋谷の南口のバス停広場から、ほど近い街に大きい
居酒屋があった。あったと言うのは今は無いという
意味ではない。もう何年も行っていないから、その後
の様子を知らないのである。
グルメの親友YNくんが連れて行ってくれた。
入ると大きい紺色の木綿暖簾が下がっていた。
暖簾には「わがくには筑紫の国や白日別け母います国
櫨多き国」と染め抜いてあった。
YNくんはこの店が過ってのグループ・クレージー
キャッツの石橋エータローが創った店だと教えてくれた。
しかし、暖簾の由来は知らなかった。
全体の意味は分かるけど「知日別け」って何だろう?
飲みながら「これは二人の宿題にしよう」ということに
なった。
北原白秋が白が好きだったようだし、幼児に日傘を
さした母に捨てられた哀しい思い出もあったから、
その別れの時を言っているのかなあ?色々調べていた
が分からないままに、それから何年も忘れていた。
何の拍子だったか?ある日画家青木繁の伝記にこの
歌を見つけた。あの白日別けは古語の筑紫をさして
いると知った。
さっそくYNくんに連絡した。
それからというもの、いろいろ読んで青木繁が
久留米出身で、かの笛吹童子の笛の福田蘭童が息子で
あること、石橋エータローが孫にあたること、戦没
学生の無言館にその子にあたる方が居られることなど、
劇的な歴史を刻んで来た一族の物語に哀愁を感じた。
今も、久留米郊外の柳坂・曾木良に蘭童さん揮毫の
この歌の石碑が立っているそうである。