2020年7月16日木曜日

㉘ わがくには筑紫の国や

渋谷の南口のバス停広場から、ほど近い街に大きい

居酒屋があった。あったと言うのは今は無いという

意味ではない。もう何年も行っていないから、その後

の様子を知らないのである。

グルメの親友YNくんが連れて行ってくれた。

入ると大きい紺色の木綿暖簾が下がっていた。

暖簾には「わがくには筑紫の国や白日別け母います国

櫨多き国」と染め抜いてあった。

YNくんはこの店が過ってのグループ・クレージー

キャッツの石橋エータローが創った店だと教えてくれた。

しかし、暖簾の由来は知らなかった。

全体の意味は分かるけど「知日別け」って何だろう?

飲みながら「これは二人の宿題にしよう」ということに

なった。

北原白秋が白が好きだったようだし、幼児に日傘を

さした母に捨てられた哀しい思い出もあったから、

その別れの時を言っているのかなあ?色々調べていた

が分からないままに、それから何年も忘れていた。

何の拍子だったか?ある日画家青木繁の伝記にこの

歌を見つけた。あの白日別けは古語の筑紫をさして

いると知った。

さっそくYNくんに連絡した。

それからというもの、いろいろ読んで青木繁が

久留米出身で、かの笛吹童子の笛の福田蘭童が息子で

あること、石橋エータローが孫にあたること、戦没

学生の無言館にその子にあたる方が居られることなど、

劇的な歴史を刻んで来た一族の物語に哀愁を感じた。

今も、久留米郊外の柳坂・曾木良に蘭童さん揮毫の

この歌の石碑が立っているそうである。