2020年7月12日日曜日

⑮ウイリアム・テル序曲

渡場の石原小学校を卒業して、父祖の地、

上城に引っ越して、日置中学校に入った

ころ酷い脚気に罹った。

鮮明に覚えているのは古市の外れにあった

椋木病院にバスで通っていたが、自分だけ

では膝の筋肉が働かず、ステップを上がれ

なかった。

その頃の椋木病院の先生は村唯一の鈍い運転

のダット・サンに乗っておられた。

病院脇の道が拡張され新道が出来て、人丸署

に初めてジープが入った。

そのジープが椋木病院と新道向かいの豆腐屋?

(記憶違いかもしれない)さんの小さい子供が

道に飛び出したか?して、走って来た警察の

ジープに轢かれた。

暑い夏の日の乾いた砂利道に子供の頭蓋骨が

転がっていた。

警察の事故を抹殺しようとする態度に怒った

父は抗議文を書いた。

父は、赤呼ばわれするようになった。

出来たばかりの公民館勤めに回された。

何くそと公民館で青年活動を起こした。

それまで飲んで騒ぐだけだった青年たちを村の

寄り合い所に集めて、演劇を指導し始めた。

今も世界で演じられるレ・ミゼラブル。

男女青年たちが燃えて公民館で発表するまでに

なった。

父は今で言うBGM(背景音楽)にウイリアム・

テル序曲のレコードを選んだ。

劇団の青年たちに、恋も生まれてUY青年とAK女

が結ばれたのを覚えている。

父は県から表彰された。

後年、ロスアンジェルスで劇団四季の公演の元に

なった本格ミュージカル「レ・ミゼラブル」の

公演を見た時、思い出されて涙した。