2020年7月14日火曜日

㉒ おーい三太やーい ! (その1)

おーい三太やーい!

 ある日「うちのカミサン」が僕の本棚から1冊の本を

見つけた。

僕も買っことも忘れて何年にもなる筈だが、体裁も

比較的新しい「三太物語」だった。

それからというもの、カミサンは暇が出来る度に読み

ふけり、思い出したように時々クスクス笑っている。

 年配の方なら覚えておられるだろうが、僕が

中学2年生になった昭和25年(1950年)に、NHK

午後の連続ラジオ・ドラマ放送で「おらぁ三太だ」

物語りが始まったと思う。

ちょうど僕らと同じような年頃の三太少年と、彼の

おじいさんを中心に山奥の道志村で繰り広げる愉快な

冒険談だった。

日本のトム・ソーウヤー物語みたいだと思った。

その時は、物語りの舞台が道志村という田舎の仮想村

だと思っていたが、同志村という名前だけは覚えていた。

 それから何年も経ち、僕が昭和37年(1962年)から

神奈川県鎌倉を経て横浜に住むようになって、道志村

が神奈川県に実在することを知った。

しかし、朝早く通勤電車に揺られ、午前様で家に帰る

ような生活で、情けないが、とても三太くんを思い出す

余裕は無かったのだ。

 

















20世紀も終わり近くなった平成11年(1999年)~

平成12年(2000年)ごろになって、遅ればせながら

自分も老後を考えて、横浜で貸し農園を探すように

なったとき、丁度相模湖近くの津久井農協で、

貸し農園の募集中だったのを見つけ、応募した。

そこは神奈川県内でも横浜の自宅から車で

1時間半~2時間の所だ。

国道16号線を北上し、橋本から左折直進して、

相模湖畔の三ヶ木というところで更に左折し

青山で右に折れる山梨県に向かう道筋だった。

その一帯は青野ヶ原と呼ぶらしく、「道志みち」

の沿線だった。

なんと、三太物語りに出てくる道志村は実在だし、

三ヶ木、青山、青野ヶ原、中野の町とか、地名も

すべて実在だったのである。