2020年7月13日月曜日

⑱落穂拾い

有名なミレーの絵に「落穂拾い」がある。

何かの解説によると、遠景に見える取り入れた

穂を荷馬車に積み込む農家の人たちの一群と違う

粗末な衣服の婦人たちが、収穫する物が何も見え

ない畑で収穫でこぼれた穂を拾っているのだという。

婦人たちは、いわゆるジプシーなどの浮浪民で農家

の人たちは浮浪人に与える分は、収穫から残した

のだともいわれる。

敗戦後、時の為政者は敗戦難民を引揚者と称し

貧苦を丸め込んできたように、まだ包容力があった

内地の田舎に引揚者を託した。

日本人は往々にして、綺麗な言葉で汚物を丸めて、

その場を凌ぐ国民ではある。

前回書いた菱海中学校の下の道路の向かいにあった

田んぼの農家の方は、そっと、中学校の先生の母に

耳打ちして「暗くなったら落穂を拾って」と言って

くれたそうだ。

当時はお米は大変貴重で、列車の中での闇米の

取り締まりや、コメの不正配給、物価の値上がりを

米価基準で取り締まる公定価格などで、米のやり取り

が監視されていたのだ。

リヤカーに空カマス(藁で編んだ袋)を積んで夕方

その田んぼに落穂拾いに行って、明りもつけずに

落穂を拾った。

7人の大家族の麦以外の貴重な米主食なったのは

言うまでもない。

僕は今でもあの落穂拾いの絵を見ると、遠景の

荷馬車作業の人たちに感謝を捧げる婦人たちと

同質になる。