有名なミレーの絵に「落穂拾い」がある。
何かの解説によると、遠景に見える取り入れた
穂を荷馬車に積み込む農家の人たちの一群と違う
粗末な衣服の婦人たちが、収穫する物が何も見え
ない畑で収穫でこぼれた穂を拾っているのだという。
婦人たちは、いわゆるジプシーなどの浮浪民で農家
の人たちは浮浪人に与える分は、収穫から残した
のだともいわれる。
敗戦後、時の為政者は敗戦難民を引揚者と称して
貧苦を丸め込んできたように、まだ包容力があった
内地の田舎に引揚者を託した。
日本人は往々にして、綺麗な言葉で汚物を丸めて、
その場を凌ぐ国民ではある。
前回書いた菱海中学校の下の道路の向かいにあった
田んぼの農家の方は、そっと、中学校の先生の母に
耳打ちして「暗くなったら落穂を拾って」と言って
くれたそうだ。
当時はお米は大変貴重で、列車の中での闇米の
取り締まりや、コメの不正配給、物価の値上がりを
米価基準で取り締まる公定価格などで、米のやり取り
が監視されていたのだ。
リヤカーに空カマス(藁で編んだ袋)を積んで夕方
その田んぼに落穂拾いに行って、明りもつけずに
落穂を拾った。
7人の大家族の麦以外の貴重な米主食なったのは
言うまでもない。
僕は今でもあの落穂拾いの絵を見ると、遠景の
荷馬車作業の人たちに感謝を捧げる婦人たちと
同質になる。