2020年4月8日水曜日

夢想カート王国⑬晩年の故安部英(タケシ)先輩の手紙

大津高校の多分2年の時1953年、講堂で世に活躍中の先輩を招いての講話を聴くことがあった。
僕はお家を知らないが、先輩は網元の子息だと言う。多分優秀だった先輩の姉上もそれ以前に講話に来られたような気がするが、定かでない。
その時は東大医学部の助手くらいだったろうか?
その安部先輩の言葉「大津高児は鈍重であれ」と言われたように記憶する。「愚直に営々と励みなさい」という意味だったと思う。
それから幾星霜、1980年頃になって安部先輩が帝京大学の副学長になられたこと、エイズ血液製剤事件の裁判の中心にあったことを知った。
先輩の、病的とも言える激高する言動や意見が、世の非難を浴びたころには、まだ今日の認知症などの言葉もなく、裁判での医学的な配慮もなく一方的に非難を受けて蟄居されたように思う。可哀そうだったと思う。
事件については全く部外者だが、世の中の非難がごうごうの失意の中の蟄居だと思われる先輩に、大津高校東京同窓会の有志名で慰問の手紙を書いた。
ややあって、僕の所へ安部英さんから達筆の書簡が寄せられた。穏やかな筆致で、大津の主な後輩たちそれぞれの名のねぎらいに対する感謝の言葉が寄せられていた。世が世であれば、認知症疑いが顕著な晩年の先輩の名誉を挽回して差し上げたいところだが。
僕が手紙を預かっている格好だが、もしご希望があれば、ジェットプリンター・コピイを差し上げます。