2020年4月19日日曜日

夢想カート王国㉑人丸神社春祭り

奇しくも今日19日は人丸神社の春祭りの最終日だっただろう。
その頃、僕ら子供たちの年中行事は人丸様の春秋の祭り露天巡り、夏の芝部落の芝居小屋、秋の渡場地蔵祭り、一回だけだったか芝の浜で競馬があった。
その先頭の祭りに 一年年下の4年生のタダモトくんやミノルくん達と、駅前から牛の座像がある鳥居下まで、沿道に空きなく並んだ露店のテント列のヒヤカシに行った。
僕は碌に小遣いも無くて、缶詰ブリキとエナメル線とかまぼこ板を使った手作りの小さなモーター玩具を買えた。
それからというもの、タダモトくんとモータ作りに今で言う「ハマった」。
新別名の踏切直ぐのしもた屋風のフジタラジオ店で当時貴重だったエナメル線を、渡場の鋳掛け屋さんでブラシ部品にする銅版の端切れを、半田付けに使う松脂と鉛などをフジタラジオ店で教えてもらうなど、集め歩いた。
モーターの原理を調べるのに本を漁り読んだ。
その頃は電池なんかは話だけで見たこともない、戦後の内地家庭電圧も80~90ボルト以下になることもあったくらい不安定で、家庭用電源電圧を100ボルトに調節するスライダックがあったので、それを使って適当に電圧を調節した。
エナメル線から煙が出たり、作ったトランスが焼けたりするのも珍しくなく、道具の揃ったタダモトくんのお父さんの歯科技工室には散々ご迷惑をかけたに違いない。
お蔭で、現在も駅前歯医者さんに行っても、パラフィンを使う入れ歯加工の手順などは理解できる。
6年生になって、タダモトくんと戸車滑車とレールを加工して、来客があると自動的に開け閉め出来る自動ドアを考案し県の小中学校科学技術展に出した。
もちろんモーターは手製のモーターだったから動いて力を出せるはずもなかったが、アイデアが良かったのか、入選した。
そのころ実用新案の特許の知識があったなら、現在の自動ドアの先鞭だったと誇りがある。
戸口を出た後、うっかり戸を閉めるのを忘れると「ホイト育ちかな?」とショッチュウからかわれていたのが原点だ。
ホイト小屋にはムシロが下がっているから、自動ドアだから。