2020年4月2日木曜日

夢想カート王国⑨峠と海の盆地の秘境

長門の国は峠と海で囲まれた盆地である。
油谷の大坊の橋の袂から俵山に抜ける砂利峠(ジャリガタオ)は掛渕川にそそぐ川に沿った細道だった。
石原小の時、母と2歳年下の弟と、借りた車力(木製の人が牽く荷車)3人で砂利峠の知り合い農家に渋柿を貰いに行った。
行きも登りの坂道に難渋したが、カマスに入れた柿と車力バランスの重石代わりに乗せた弟を積んで、母が押す車力の引手に入って月明りの暗い川沿いの森中の急坂を駆け下りた時の恐怖を今も思い出す。
もう一つの日置から畠(ハタ)の長い工事中のダムの奥の曲がりくねった森の道とトンネルを抜け、俵山の安田部落の親戚前の道を、そのころ親父が買った軽で初めて抜けたのは川崎から帰省した時だった。
湯本温泉から三の瀬(ソウノセ)渋木を経て美祢市に出る美祢線もトンネルもある大峠(オオガタオ)は長門一の難儀坂で、黄波戸から古市へ抜ける長い黄波戸トンネルに並ぶD51機関車がよく一歩下がって蒸気力を上げ、二歩進むような再登坂するような難所だった。
高2の時か、級友数人と社会科の堀田先生と共に、秋芳洞と発見されたばかりの大正洞に行った。
帰りは真っ暗になった峠をへとへとになって下った。
三隅から左に萩方面、右に小郡方面に行く道をとり、秋吉台の東側を回る道の小郡に近い峠は二本木峠と言ったか?は新幹線が走る頃でも大工事が続き、萩や長門に向かうバスでは乗客が長靴に履き替え、工事中の泥んこ道にハマったバスを押した覚えがある。
きれいな舗装道になってから、蕎麦屋やドライブインが並んでいたような記憶がある。
かように、昔から長門は峠と海に囲まれていて、山陰本線と美祢線が機能しないと車人種だけ出入りの僻地になる。
その上、各駅を中心に一里以内の交通の便を考えないと、中心にハコモノを整備しても、いずれジリ貧になり、全市が機能不良になる。 
湯本温泉に星野リゾート界が進出してくれても、域内に広がりと繋がりが出来ないと力が出ないだろうと案じる。
冬場は無理かもしれないが、仙崎や油谷大浦から交互に定時遊覧船を出して、観光路と生活路の拡大を図るのも悪くない。
これらのアイデアは電動カート、電動アシスト3輪自転車、〃2輪自転車、自転車を生かした毛細血管が働いてこそ活性化すると思っているのだが・・・。