2021年7月5日月曜日

(79)リハビリ日記②

 16年前の脳梗塞発祥の時と同じく、入院一週間


くらいは後遺症は軽いように感じられる。


今回も発音障害はともかく、救急車に自力で乗った


から歩けるものと思っていた。


ところが初期の排泄はおむつだけで、トイレに初め


て行く段になって、足腰が全く役に立たないのを悟


る。


リハビリの療養士が病室が来るようになってようや


く事態を受け入れざるを得ないのだ。


3月7日の入院から3月末になって、リハビリ転院


を告げられた。


磯子中央病院、家の近くで一番条件が良いと南部病


院が選んでくれた。


以前から病院の名は知っていたが新しく転院の介護


タクシーで着いたのは、新装の病院だった。


入った病院は3Fで、100人位の入院患者4人


部屋や集会室風呂場などがある。


2Fにリハビリ室がある。


最初の日夕食は全員が集まるらしい集会所に車椅子


に乗せられて5時半ごろ連れてこられた。


初めのうちはスマホで遊んでいたが、右腰が痛くな


り、我慢できなくなったが、6時半ごろやっと食膳


が来た。待ち時間が長すぎて苦痛である。


口では言えないので、文を書いてベッド食に変えて


もらった。


食事が来てから座ることができる。


病院では食事から入浴、トイレに至るまでよく面倒


を見てくれる。


少ない人員で交代に一日中昼夜を問わずナースコール


に応えてくれる。


どちらかというと、若くない女看護師さんやフィリッ


ピンからの外国人などで構成する軍団が笑顔で働いて


いて頭が下がる。


一方、リハビリ病院として、男女の若い理学療法士


PT.(フィジカルテラピー)、作業療法士OT.(オク


ペイテラピー)、言語療法士ST.(スピーキング


テラピー)などが大勢いる。


16年前の僕の初回発症のころとはリハビリ技術も


始まったばかりで隔世の感があり、例えば今まで使


わないようにしてきた右足のマヒ部や多くは3角布


で吊ったような右手のチジミ込みを矯正してくれた。


入院中、30分以上座った姿勢でいると、鎮痛剤の


効果がない腰痛に悩まされるのがリハビリ効果の阻


害要因になり、従来飲んでいた漢方薬やで市販薬が


恋しくなり、途中退院で訪問リハビリを受ける道を


選びwhillカートで自主的に生活をさせてもらうこと


にした。家の改造や、前庭の車椅子アプローチ改造


など息子やワイフなどの理解に助けられての余生で


感謝に堪えない。


パソコンのブログやホームページの発信やfacebook


活動など、従来からの生活 Arts for Life's sake(人生の


ための芸術)を続けたいのも、我が儘の一つである。