2021年7月13日火曜日

(83)リハビリ日記⑥リハビリ病院体験記

 16年前、5月のある日、しばらく会っていな


かった会社時代の、歳も部門も違う仲良し友達


たちと会うことになって、元赤坂の「ままや」


の板さんの店に集まっていた。 


「ままや」は、言わずと知れた不慮の飛行機事故


で早世した作家向田邦子さんの店だった。


向田さんの亡き後、しばらく妹さんが店を引き継


がれたが、閉店されて板さんも新橋に店を持たれ


いたのである。


集まった友人の一人が、かねてより「ままや」の


常連だった縁で、この板さんも知り合いだったのだ。


さて一杯!とカップを合わせ、いつもの焼酎の水


割りに移ったところで、僕のロレツが回らなくな


ったらしい。


急に酩酊状態になった僕を近くの病院でなく横浜


の自宅に同乗して連れ帰ってくれた友人の気転に


今でも感謝する。


門扉を通り、数段の石段を登れなくて転倒した。


妻が僕の顔を見るなり、南部病院に電話して自家


用車で救急窓口に来るように言われた。


右目がパリ向きゃ左目はロンドンを向いた「ロン


パリ」状態だったのだ。


当時はいわゆる脳血栓を溶かす特効薬は日本では


認められていなかった。


すぐにリハビリは開始されてはいたが、リハビリ


自体も、制度が出来て揺籃期で未熟でもあったよ


うだ。


南部病院にも理学療養士PT.と言語療法士ST.だけ


が配置された状態だった。


3か月の入院とリハビリの後、右足のマヒと右手


が縮こまる後遺症のまま退院して16年間過ごし


てきた。


そこへ来て、昨秋言語がやや不明になったなど予


兆はあったものの、本年3月になって第二次発症


が起こった。


今度は腰から下のマヒと言語発音が出来なくなっ


た。


1ケ月弱の南部病院入院で、3ケ月強のリハビリ


病院磯子中央病院への転院があったが、脊椎の圧


迫ぱく骨折があった所為で処方鎮痛剤が効かない


腰痛がリハビリ施療の妨げになり途中退院し、訪


問リハビリを続ける道を選んだ。


それなりに、車椅子スロープの設置や家屋内の


whill生活への改修等をしてもらった。


妻や息子に感謝する。


リハビリ病院でのリハビリの様子は、それぞれ述


べてきたが、全体的に入院中は不便はあるものの


毎日施術が受けられるという利点が大きい。


自発的リハビリと言っても、安全を考慮すると、


どうしても単独では無理があることも悟る。