2021年7月9日金曜日

(81)リハビリ日記④養老OT.先生

 僕のカルテが既に行きわたっていると見え、リハ


ビリの担当先生は金子PT.先生、養老OT.先生、


田中ST.先生と決まっていた。


初日からこの順番でリハビリが進んだ。


養老OT.先生のリハビリはいきなり健全だと思われ


ている左肩甲骨の方から始まった。


16年前の初回脳梗塞発症以来、右肩甲骨のマヒに


ついてはテーブルの上に乾いたタオルを置き、両


腕をその上に置き、タオルと共に体ごと前屈し両


手を遠くへ伸バス運動と、シャツの着換え方練習


くらいしか覚えがないから、立って歩くことが重


点のリハビリだったのだろう。


最初から絵も字も左手の練習から始めた。


ややあって、左手文字練習は上手く行かず、過去


の字の膨大な記憶が脳のどこかに残っていると思


い込み、姓名と住所だけは右手による漢字で書く


ことに決め、猛練習をした。


だんだん右手で書く字数が増えてついには般若心


経の写経用箋を使うことを思いつき練習した。


お蔭で右手作業は何もできなかったが、字だけは


右手で書いていたから今回の再発症で養老OT.先生


の右腕のリハビリが始まった。


養老OT.先生は若くて可愛い小柄なチャーミングな


お嬢さんって感じで、構音障害の僕の話を聞き取


って呉れ、直ぐに僕のホームページを見てくれる


ようになった。


リハビリで、まずトイレに行く方法を伝授してく


れたのも養老OT.先生だった。


足腰が極端に萎えた僕を車椅子でトイレに連れて


行きトイレの補助バーを使って立ち上がりバーに


掴まって立っている間にズボンやパンツを下げて


便器に腰をかけて用を足す。


済んだらまた前の補助バーに掴まって、立ってい


る間に尻を拭いてもらってズボンパンツを上げて


もらう。


立っていられる動作に余裕が出てくると、自分で


尻を拭き、ズボンを上げることが出来るようにな


ると言うが、尻拭きは難しい。


水洗シャワー付きのトイレだと、楽である。


金子PT.先生にもリハビリ室への行き帰りにトイレ


に寄って貰った。


尾籠な話になったが、右肩甲骨の筋肉緊張がマッ


サージによってほぐれると、あら不思議、右手の


機能が少しづつ回復してきた。


右手の握りこぶしや開閉が出来るようになり、筋


力はないものの、動く範囲が広がりつつある。


養老OT.先生のリハビリで、体を机に長時間ベルト


で固定して長時間辰訓練と机で作業する訓練があ


り、懐かしい般若心経の写経をした。


何日かに分けて、どうにか完結したのもいい思い


出だ。


途中退院の今も、週一回の訪問リハビリで、自分


で訓練するしかない。


入院中、夜間は紙おむつにしてトイレに車椅子で


行くことのないようにしていたのはトイレに二人


がかりで対応する手間を省くことだったのだ。


実際ナースコールも頻繁だし、少ない人数ですべ


てをこなすのは、大変だろう。


リハビリの先生方も、時々応援に参加しておられ


る。


実に多岐にわたる細々とした作業の連続に、


不平を時々漏らしながらも笑顔で勤めておられる


姿を見るにつけ報酬も十分であることを願うばか


りだ。


養老OT.先生も僕の中途退院の行く末に金子PT.先


生とともに事前視察や退院後のリハビリにも配慮


くださった。


改めて謝意を申し上げたい。