2021年7月26日月曜日

(87)リハビリ日記⑩ 心の支え、右まひのピアニスト館野泉さん。

  現在日本にも導入されているアメリ


カの「パック-3」という防空ミサイル・


システムが、まだSAM-Dと呼ばれてい


た時代から、小型ではあるがコンセプ


トも似ているとも思われる、わが国初


の防空ミサイル・システムの開発設計・


試作・実用試験・全国配備・メンテナ


ンスという器材の全工程に、自分の会


社生活のすべてを捧げて来た僕の言わ


ば会社生活終着駅の北海道恵庭市の市


民公会館で「ピアニスト館野泉とゆか


いな仲間」という地元婦人会主催の演


奏会が開かれて、婦人会の唯一男性顧


問であった僕の悪友”春さん”(近藤春


夫)に司会役が回ったらしく、ウブな


僕を言葉巧みに乗せて僕が司会をさせ


られる羽目になった。


 格安実現のため、チケット販売から


地元婦人たちのステンドグラス作品で


デザインの舞台まで手作りだった。


 ちょうどその日11月10日(日)が


さんの誕生日にあたっていて、演


奏会後に会館広間で手作りお祝い会


が開かれた。


 札幌から来日中の声楽家の奥様ヤ


ンネンさん、バイオリニストのご子


息も駆けつけて盛り上がった。


 札幌で別のグループの会があると


うご一家が去られた後、残った


北欧の若い男女の音楽家を日曜休み


の市内老舗陶器店を開けてもらいお


土産買いや食事に誘った。


 そんなことがあって数年後、僕が


橋の居酒屋での親友4人仲間の飲


み会でロレツガ回らくなり、友人の


一人がタクシーで横浜の家まで送っ


てくれて、目がロンパリ(目が右は


パリを、左目がロンドンを向いたよ


うな状態を、昔の人はそう言った)


なのを妻が見つけ、南部病院救急窓


口に電話し、息子の車で入院した。


 リハビリも含め3か月後に、右ま


ひ後遺症で退院し、暗澹と過ごして


いた僕はインターネットで、僕と同


年の館野さんが僕の発病の2年前に


北欧での演奏会の舞台で倒れ、ピア


ノ演奏家としての危機に立たされて


いるのを知った。


 僕と同様、残った左手だけで必死


音楽の道を探っておられる館野さ


んに感銘した僕はホームページを開


いてリハビリの道を公開することを


思いついたが、10月になっていた。


 もとより、コンピューターには無


だった僕が日経パソコン誌などの


独学でホームページを曲りなりに開


けたのは館野さんのお蔭だともいえ


る。


 今、館野さんは「左手だけで音楽


楽しむ」道に新境地を開いたピア


ニストとして一家をなしておられる。


 勿論、ご友人の作曲家たちの作曲や


ご支援もあってのことだろうが、ちっ


ぽけな僕の生き甲斐にも、大きな励ま


しである。


 今回、長い入院でサーバーを失った


ホームページは消滅してしまったが、


リハビリ・ブログの道は大切にして行


こうと思っている。