2020年6月28日日曜日

[生]と[死]について(後編)

    [生]と[死]について(後編) 

札幌徳洲会病院名誉院長 佐々木英制先生の、

同病院の夏の研修会で、職員と一部患者さん

を対象に語られた録音テープの筆録を、

同院の創立10周年記念誌に掲載された

原稿です。

僕は同病院や佐々木先生と知古、師弟関係、

友人関係もありませんし、感想を書くお許し

を得たわけでもありません。

ただ頂いた本の読後感を語るという感覚で

あることを、まず申し上げます。

先生は先ず、常に患者の生死を分ける戦場に

あるお医者さんをはじめ、医療従事者たちに、

「生と死」という大問題を提示されます。

人間の「生と死」は誰も自分の意志ではどう

にもなりません。

死というものは「他人の死」であるが、最大の

意外事「自分の死」です。

江戸中期の禅の太田蜀山人が、死に際に

「今までは、他人の事だと思いしに、おれが

死ぬとはこれはたまらん」と詠んだことや、

作家の加賀乙彦の『死刑囚・無期囚に心理』

の引用とか、哲学者の三木清のノート

『人生と旅』などを語られた後、僧侶空海の

「的面の今」(てきめんのいま)と

「究意方便」(くぎょうほうべん)という

言葉を語られます。

「的面の今」が大事で、手段である「究意方便」

は究極の目的に達するに必要なことだ、と。

同様な言葉に道元の「而今」(じこん)を紹介

されます。

次いで、先生の自らの心得として「人を原寸大で

捉える目」を養うことが大切だ、と語られます。

また「プラス思考」「感性を磨く」ことが人を

幸福にすることを例を挙げて語れました。

インドのニューデリー郊外の聖地公園の壁にある

ガンジーの言葉として「人間が犯してはならない

7つの罪」を提示されます。

①「原則なき政治」、②「労働なき富」、

③「良心なき快楽」、④「感性なき智識」、

⑤「道義なき商い」、⑥「人間性なき科学」、

⑦「犠牲なき信仰」を語られ後、先生にも

わからない、あの孔子でさえ弟子に答え

なかった「死とは何か」について話されます。

シェークスピアが『ハムレット』の中で独り

ごとを言わせている「一人として帰ってきた

旅人がいないあの未知の国」、谷崎潤一郎の

『瘋癲老人日記』の一節「死が目前に迫って

いる。そう思うことが恐い。」、渡辺淳一の

『冬の花火』の中のモデル歌人・中条ふみ子の

「生」の燃焼の話、西洋哲学のデカルト、

ヘーゲル、パスカル、キルケ・ゴール、達の

人間的存在の実存的な円熟も死に向かう哲学で、

東洋の孔子、老荘思想、道元の『正法眼蔵』

などに及んだ所で、

この地球への唯一回の招待である、素晴らしい

人生の一刻を大切に生き、でき得れば、

十二分に生かしていただいた、という

感謝と平安の境地で静かに死を迎えたいもの

です、と締めくくられました。

無力の駄馬の駆け足で寸足らずになりました。

昔のお寺の日曜学校で聴いた、お坊さんの

語りを思い出しながらの試みです。

お許しください。