2020年6月26日金曜日

真鍋さんのこと(4)

    真鍋さんのこと(4) 
   最大の心配事  
一難去ってまた一難、ボツホールドさんの
痛手が去ってから、僕も恵庭から離れて
東京勤務になって、北海道に行く機会も
少なくなった。
北海道新聞(道新)の千歳恵庭版紙面の
「せせらぎ」という600字の小さな
エッセイ欄は、道新千歳支局の記者が
監修して、千歳市と恵庭市の市民筆者が
担当を持ち回って書いていた。
千歳市の真鍋達夫さんや、恵庭市の
近藤春夫さんなどのベテラン文化人、
サッポロビール恵庭工場長、キリンビール
千歳工場長、サントリー千歳工場長、近郊
市のアサヒビール工場長など、僕も含めて
20人ほどのライターがいて、それぞれ思い
通りのエッセイを書いていた。
真鍋さんも戦前戦中の海外生活の豊富な
話題を書かれるので、僕も教わることも
多く、真鍋さんの投稿を期待したもので
ある。
僕が北海道を離れても、毎年年賀状の
交換は続けていた。
年賀ハガキいっぱいに、小さな活字で
前年の出来事を集約した独特な年賀状
を毎年貪るように読んだ。
97歳に達したと年賀状にも書いておら
れたが、2017年の正月には出したが、
来なかった。
その前年からか、僕ら夫婦は毎夏に電車
やバスが同ビルから発着する千歳ステー
ション・ホテルに2週間ばかり滞在して、
手押し歩行器を持ってバスや電車で北海道
住人時代馴染みの温泉や店を楽しんでいた。
その年も、真鍋さんのお宅を訪ねようと
思ってはいたが、ホテルから手押し歩行器
で行くには遠く、タクシーで乗り付けるのも
ためらわれた。
一度電話は掛けたが、昼間は応答が無かった
ので、遠慮した。
2018年夏の北海道行きは億劫になり、それ
以来北海道行きは老齢化中止になって、今度
の16年振りの2次発症でカートに乗ったまま
しか行動できなくなって御名御璽。
もう真鍋さんは100歳は越えたと思われる。
安否を問うのも非常識に思われてためらう。
僕は自分自身にもつぶやく「老兵は死なず、
消え行くのみ」そっと時に任せるのみか。