2020年6月27日土曜日

[生]と[死]について(前編)

  [生]と[死]について(前編)

恵み野病院副院長・佐々木英制さんから頂いた

講話記録からから 


僕は北海道に単身赴任してから糖尿病に罹った。

入社して以来、試作開発、装備開発、実用試験、

部隊配備、と一つのシステム装置の言わば一生に

関わってきた関わってきた者として技術者冥利に

尽きる。

配備に続く責任には、補給整備という段階がある。

使った消耗機材の補給とメインテナンスである。

専門工場が必要になり、北海道恵庭市にあった

関連会社の敷地に土地を買い足して作った。

毒食えば皿まで、手を挙げて川崎の工場から

70名を連れて恵庭工場に単身赴任したのが、

1月初め。

大きい部屋の、十分過ぎるマンション、新鮮

富な食べ物は美味しいし、好きな材料を買っては

自炊、美味しい店も探していた。

5月になって従業員健康試験をやった。

委託病院は地元の総合病院恵み野病院。

のほほんと受験した僕は、いきなり「即入院」

を言い渡された。

初めて聞いた血糖値というのが500だという。

入院したその日から、病院で朝検診・朝食、自車で

工場出勤、昼は工場から病院に戻り病院食、再び

出社して夕刻退社して病院隣のスポーツセンターで

水泳、病院食、夕検診という生活をした。

別格の勤務だった。

当時の恵み野病院の副院長は佐々木英制先生、

工場医を委託をお願いしていた。

入院が長かったから、ある日呼ばれて副院長の

お部屋に伺がった。

一つ書棚があるだけの広い大きい部屋だった。

話をしながら、本棚にあるいろいろな本の中に

仏教書が多いのに気づいた。

僕にも関心があったので先生と2、3、その頃

聴いていた紀野一義の講話テープ「正法現蔵

隋聞記」の話をして、後ほどテープをお貸しした。

先生が返却とお礼を兼ねてか、先生の札幌徳洲会

病院名誉院長時代の病院研修会で講話された

録音テープから筆録の講話記録([生]と[死]に

ついて)の細字でA4の8ページ余のコピーだった。

知った被りの自分を恥じた。