2020年6月25日木曜日

 真鍋達夫さんのこと(3)

     真鍋達夫さんのこと(3) 
    エピローグ 
日本に帰国後、それまでの様に真鍋さんとの
手紙やはがきの交流に、ワシントンからの
ボツホールドさんの手紙が加わったトライ・
アングル交流が続いた。
その間、お二人のいろいろな友情の歴史を知る
ことになった。
敗戦後の進駐軍時代に、ボツホールドさんが
進駐米空軍千歳基地の総司令官であったこと、
語学の達者な真鍋さんが彼の補佐をしてきたこと、
家族ぐるみの友人になっていたこと、ボツホールド
さんが、真鍋さんの奥様が亡くなった時からの
理解者として、心の支えになってきたことなどで
ある。
その後数年経って、僕の会社定年も近くなった
1962年だったか?日本の防衛産業企業協会に
米陸軍退役軍人協会の記念総会への招待が来て、
企業協会も世界の防衛産業会社視察を兼ねる旅程
の最後に、ワシントンのホテルでの総会に参加
することになり、わが社からも僕ともう一人が
参加することになった。
先ず、ロンドンのロールス・ロイス社に始まり、
ロンドンの退役英空軍軍人会への参加、ピサ郊外
の自動車会社、ローマの自動車産業社などを歴訪
の後、米国テキサス州ダラスの半導体社のTI社を
訪ね、ワシントンに着いた。
直ぐに、ホテルからエバーグリーン社の
ボツホールドさんに電話をいれた。
電話口にはボツホールドさんはなかなか出ず
女性が「あなたはどなたですか?」と聞くから、
変だな?と思っていると
「Sorry, He had already passed away 
1ーmonth ago.」
(彼は一カ月前に亡くなりました)と、女性が
答えてくれた。
直ぐに千歳の真鍋さんに国際電話を入れると
「ここの所、音信が無かったが、そうだったのか」
と言われた。
ご存じなかったのだあ。
古今、無常と言うが、パリ以来お会い出来なくて残念。
一行はワシントンのワシントン旧家をたづねた後、
退役軍人会総会に出席した後、一夜サンフランシスコ
のバーでジャズセッションを聞いて帰途についた。