2020年6月25日木曜日

真鍋達夫さんのこと(2)

      真鍋達夫さんのこと(2)
     奇跡的な奇遇 
1989年、パリで世界的な航空産業展示をする
パリ・エアショウがパリのド・ゴール空港で
催されされた。
ソ連がまだ健在で米ソ両国がスペースシャトル
に代表される宇宙開発や、最新鋭MIG戦闘機に
代表されるジェット戦闘機の技術でツバゼリアイ
を演じていた頃である。
代表的な話題の展示はアメリカの宇宙船スペース
シャトル、ソ連の新MIG戦闘機、ソ連の宇宙船を
そっくり乗せて運ぶ超大型空輸機などだった。
当社も国産初の短SAM(地対空)ミサイル(誘
導弾)システムを通じ、ショウに参加するように
なっていた。
飛翔体技術部のKN部長とMK副部長とレーダー技
術部のYD部長と僕が参加した。
広大なド・ゴール空港内の航空機展示や各所での
展示品するをを見て回り、合間にパリ市内で催さ
れる各国各社のレセプションに招かれる。
ある日、二つの会社のレセプションが重なって、
分担しての参加になり、スエーデンのSAAB航空
機社のレセプションの方にKN部長と僕がSAAB
方に行った。
会場は凱旋門のエトワールから、シャンゼリゼ通
りの反対側に下った、ブローニュ森林公園の外れ
地区に借りたらしい、富豪の大邸宅で行われた。
グランドピアノなどが置かれた大きい社交室や、
壁一面にガラス戸本棚に昔のエンサイクロペディア
を思わせる分厚い皮背表紙の本が並んでいる図書室
で、各机に置かれたオードブルやワイングラスを手
に、大勢の紳士淑女たちが談笑している。
日ごろから、早稲田理工出身のKN部長と東大院出身
の僕のYD部長は仲が良いとは言えなかったので、
KN部長は僕を置いて、どこかへ消えていて、僕一人
ワイングラスを手に立っていると、3、4人の男女に
囲まれた白交じり坊主頭の老紳士が、真っすぐ僕の方
へやってきて「君は日本人かい?」と聞いた。
頷くと「タツオを知らないか?」と、トッピな質問だ。
「タツオと突然言われても・・・」咄嗟に真鍋さんの
ことを思った。
しかし内心(まさか、広い日本の中でタツオは一杯
居る、分かるもんか。でも、ひょっとして?)。
「僕の知っているタツオと言う友達は、マナベだけ
ですが?」「イエス、イエス、タツオ・マナベです
よ」「オーマイゴッド! なんだって?! 奇跡だ
パリで初めてあった人が、真鍋さんの名を言うなんて!
貰った名刺を見ると、そこにはエヴァー・グリーン
社の顧問ボツホールドさん、とある。  
エヴァー・グリーン社は世界でも名の知れた、航空
運輸の大企業である。
宝くじが当たったような確率だ。
何を話したか、覚えていないほどショックだった。
ホテルに帰ってから千歳の真鍋さんに国際電話報告
したのは言うまでもない。
真鍋さんも奇遇に驚いた。
翌日の空港では、新しいMIG戦闘機が高速で法線的
垂直に上昇し、ほぼ頂点で垂直の姿勢で停止し、一
瞬翻って降下向きに反転し、高速で急降下するという
超高耐Gの対地攻撃の離れ業を見せた。
しかし、僕らがパリを去る日にニュースでこの飛行で
失敗してMIGが地面に突っ込んだという大事故を伝え
ていた。