2020年3月21日土曜日

天気蒸籠なれどドラマは続くだろう

僕の父方のお祖父さんは父が12歳の時日本でも名高い「大正(18年?)のスペイン風邪」と呼ばれる世界規模の風邪様のウイルス感染でなくなったという。
家系書に伝わる状況では罹った者の死亡率も相当に高かったらしい。

その時村では、ほとんどの人がバタバタと被患して助け合うこともできず、片山家でも子供を残しほぼ全員が高熱を出し、祖父が工夫した大タライの周りに小竹の水注ぎ口を取り付けて一人がバケツ井戸からバケツで水を運び,カマチに並べて寝かせた数人の患者の頭を冷やしたという。
老父母と若い女房(祖母)と中学生(父)前を頭にした姉弟を残した祖父と、その弟の一家の2人の働き手を失ってしまった。
祖母は京城に嫁いだ亡くなった祖父の妹に父を託し、幼子二人と働きに出たらしい。
その祖母が京城の我が家の応援に帰ってきたのが4つ違いの弟が生まれる前だった。
新コロナウイルスで揺れる現在、思い出すのはこの一家の受難劇である。