2007年8月17日金曜日

ドライブレス・ドライブ旅・信州

 東京オリンピック開催の前の年、軽井沢方面へドライブ旅行をした。
どうして年度を覚えているかというと、今の環7が都内初の高速道路として完成し、SATさんの新型のコロナに乗せてもらって見学に行ったのが印象的だったからである。
 週刊誌のグラビアに、まだ車が走っていない「若林」あたりの緩やかに昇る跨線橋の風景が、新鮮な現代風な都会を象徴していた。
 自分はまだ自動車免許証は持たなかった。と言うより、それまで関心がなかった。
その時環7見学のメンバーは、新婚間もないSATさん、ほぼ同期のNISさん、その後輩IGAさん、一番若いNIWさん、それと私。皆は免許証を持っていた。
 夏休みになって、5人でドライブ旅行に出発した。SATさんのコロナと、NISさんの古いセドリックに分乗して地図を頼りに前橋、熊谷を通ったような気がする。その頃は車も少なく、順調に進んだ。
 大変なトラブルは松井田を過ぎ、碓井峠の上り坂で起こった。セドリックがオーバーヒートでダウンした。もともとNISさんが学生時代に自動車部で使っていたという中古車で、あちらこちら不具合があるものを騙し騙し使っていた車だと言う。
オーバーヒートの原因はラジエーターに水漏れがあったからで、ラジエーターは修理できないから水補給でしのぐことにし、水は水筒の水くらいでは足らず時間をかけて自然冷却を待つしかなかった。
真夏の自然冷却は厳しかった。幸いコロナ組がバケツを持ってどこかへ水汲みに行き補給することを思いついた。碓井峠の途中は水汲み場なぞなかったから、ふもとまで降りたものだろう。
 やうやく、軽井沢に着き、ラジエーターの応急修理、といっても水漏れを防ぐ繊維パテを水に入れるくらいだが。初めての帝国ホテルでたっぷり水を補給したが、水漏れは続きどこをどう通ったか覚えていないが山田温泉で交渉の末、格安の大広間に泊まることにした。
朝食のご飯でお変わりをしてお結びを作り、昼弁当にしたし、前日から後部ドアが閉まらない不具合があったので帯紐を1本失敬してドアをピラーにくくりつけたりした。
 そのうち、セドリックが動かなくなった。調べてみると電気系だということがわかった。自動車部の出身とあって、分解してみるとセル・モーターのブラシが磨耗していることがわかった。電話を探し、自動車屋に聞くとブラシ・カーボンは須坂にしかないというので、コロナ組が買いに走った。山の中で待つこと?時間、日暮れ近くにブラシが到着し、エンジンがかかって出発した。
夜中になって川崎・中の島(NISさんが住んでいた?)に着き解散した。それからどうしたかは覚えていないが、いっぺんに自動車の構造に詳しくなった夏休みの思い出である。