2007年8月11日土曜日

パラメトリック・アンプ

 入社数年はオーストラリアのラジオゾンデ追跡レーダー提案の失注やF気象レーダーの失注や大きいプロジェクトの失注が重なり大量な同期入社の面々も仕事がない日が続いた。幹部はさぞ大変であったろう。
 しかし、新入社員は気楽なもので「去年の理科系採用300人に対し今年は600人採用だから俺みたいな半端モンが入ってきたのさ」と嘯いているしまつ。そのころ受注したECM(Electric couter measure)の研究の仕事をやった。毎日研究所の図書館に通って英文の米国通信学会誌やElectronics誌や、Microwave誌、などを読み漁っていた。しかし、真空管からトランジスタにと世は目まぐるしく変わり、マイクロ・コンピュータが出てくるなど勉強の範囲が拡大する上に、大して勉強もしていなかった新入社員には驚きばかりであった。しかし、何とか研究報告書をまとめて提出したが、今考えると冷や汗ものだった。
 そうこうしている時、有名なベル社のB.S.T.J.誌(Bell System Technical Journal)に宇宙特集が乗った。確か当時同社に居られた日本人U博士も執筆されていたと思う。宇宙からの雑音を受信するのに極めて低雑音指数の受信機が必要というものだった。なかでもパラメトリック・アンプはその中心的論文だった。研究所では1年上級の故・村上純造さん(確か尾道から東大に。高校時代フルブライト交換留学された秀才研究員で、頭の良さに舌を巻いた。惜しくも腎臓を患われ早世された。フルブライト時代の同窓生の奥さんが透析闘病のため看護士になられたと聞いた)の指導を受けわれわれも実験を始めた。
先ず手始めが宇宙用ではなく、L-bandのレーダーFPS-1(米軍の可搬型レーダー)に装着して探知距離を改善するのに利用することになった。
 同軸キャビティに同軸フィルタ構造を組み込み、ポンピング励起すると負抵抗になるダイオードを附け、片方からL-bandの2倍の周波数のポンピング周波数で励起する。立体回路で、しかも手作り、周波数特性もそう広くないので、廊下やテーブルの振動によって特性が変動するなど、なかなか一筋縄では行かない。優秀な工業高校出身のN君と一緒に日夜実験に取り組んだ。
 そのころ、FPS-1の通常ダイオード検波器の雑音指数は良くて9DB(デシベル)、これに対しパラメトリック・アンプをつけると1.5DBになり後段の影響を差し引いても7DBは改善され、雑音指数の4乗に逆比例するレーダー探知距離も1.7DB(=1.5倍程度)に改善されるはずだ。
 特性を達成した機材納入の前の日、嬉しさのあまりN君と機材の底面目立たぬところに記念のイニシャルをポンチで打ち込んでおいた。
 千葉の自衛隊の学校教室に納入になり、秋には銚子の海に面した原っぱで別名「菊演習」に技術支援に労働借り上げで同行した。
このとき、生憎夜中に台風が襲来し、米軍払い下げの、兵員40名くらい収容の円形の大幕舎の中央の柱に取り付けた吊り輪の鎖が、強風のため、一部音を立てて切れた。T2佐が退去を命じ風雨の中、寝る前にたたんで置くように命じられていた衣服を整え幕舎から出て、トラックで銚子市役所に避難した。市役所のテーブルの上などに寝て朝まで過ごした。
 翌日、台風が去ってからN君と乗ってきて野原に置いたままのN君のお兄さんのセドリックを取りに行った。忘れてしまったが、多分自衛隊の支援を受けたのだろう。古きよき時代だったと思う。