2013年4月9日火曜日

北海道静内での試験初期のこと

GMの試験は技術研究所の研究段階が新島で、装備段階での発射を含むシステムの試験が日高地方の静内で行われた。
ここで試験が行われるにあたっては、矢張り地元の意向が大きく影響するから官側のご努力は筆舌に尽くしがたい。
道知事がそれまでの自民党寄りの方から、革新系の横道さんに変わった直後だったし、読めない事が多かったのだろう。
静内は馬の市で名を馳せていて、懐に札束を呑んで静内入りをする博労が町に溢れるという噂があった。
会社の人間が官側に協力して技術労務借り上げで、町に入ると、最初の頃は、博労の人たちと同類に見られるなど珍しかったのだろう。
要らぬ摩擦を避けるため、最初は宿を静内に取らず、お隣の新冠(ニイカップ)の民宿を選んだ。
ここには書けないが、色々な”隠遁の術”を労したものである。

次第に静内の連体の方々と共に町に溶け込んでいる今になっては、笑い話の思い出になってしまった。
あるときは、日高山脈で北海道銀行のVIPが山で遭難されたとき、静内駐屯地が救難ヘリの離着陸地になって、報道陣の興味を引かぬように、発射試験装備にカムフラージュネットを被せたりしたことがあった。

年々、次第に報道陣や地元の人たちを官側が招待するようになって、理解が得られるのはすばらしいことである。