2007年6月17日日曜日

はじめてのフェーズド・アレイ・アンテナ

 経が岬を望む「かみなり岬」に据え

た実験装置は当時画期的なフェーズド

・アレイ・アンテナを備えていた。

断面が10mm×20mmほどの導波管

(マイクロ波伝送線)を長さ30センチ

に切り両端に四角に開いたマイクロ波

アンテナをつける。

中にはマイクロ波フェライト移相器を3

ビット分入れてある。

これを外付けの移送器ドライバーで駆動

して電波の通過時の移相を0~360度

制御しようとした。

移送器の制御はマイクロ秒ていどの早さ

が要求されるので、フエライト移相器を

磁化するのに駆動コイルの巻き数を増や

すわけには行かない。

巻き数がないから勢い大電流を瞬時に流

す必要がある。

こんな時便利なのがコンデンサーである。

その当時国産化が出来たタンタル・コン

デンサーを使用した。  

ところが短絡に近い大電流供給をタンタ

ル・コンデンサーに課すものだから、コ

ンデンサーの損傷は莫大、駆動半導体の

故障も毎日のように交換を要した。

この移相器素子が1,100個もあるの

で性能が落ち着くまで冬も夏も会社のア

ンテナ試験場で寝泊りした。  

この装置の送信機は送信管担当が自前で

開発した大電力TWT送信管を使った。

当時大電力管はアメリカのリットン社が

有名であったが得意の要求を満たすこと

は出来なかったのである。  

この送信管は水冷であるため移動する際

も付属の水冷却器を持って歩いた。

電極電圧が30KVでおよそ1アンペア

の電流が流れるので、とてつもない現象

が観察された。

秒単位の送信機動作で白いシリコン耐圧

ケーブルが実際に波打つのである。

教科書にはフレミングの左手法則といっ

て2線間に働く力は目の前で見るほどに

は大きくないのだが、1mほど離れた二

つの線が引き寄せられては離れるのであ

る。

だから、工場の配電設備も変更しなけれ

ばならなかった。

この装置を動かすと、工場の電源電圧が

大きく変動し、給料計算をしていた大型

コンピュータが誤動作して通常の10倍

の給料が書かれたり、半分になった人も

いたり、大変な事態になった。  

水冷の冷却後の廃湯は温泉になるような

豊富な湯で、そのころから温泉オウナー

になる夢があったのかも、と考えていた

のかもしれない。  

経が岬では小牧から飛来するファントム

ジェット機の出すレーダー電波を探知し

フェーズド・アレー・アンテナで位置を

知りその同じ電波周波数でレーダー探知

を出来なくする実験をした。

非常に良い試験機であったが時代に先駆

けすぎたのと、大きい、経済性がないな

どの理由で、いつの間にか忘れられてし

まった。

その数年後、絵に描いた餅であった

SAM-Dがだんだん姿を現すようにな

って、この試験機にそっくりのフェー

ズド・アレイ・アンテナを備えている

のを知って、その先行性を誇りに思っ

たものである。 

SAM-Dは今のパトリオット・シス

ム、Pac-3システムへ発展したのである。