2007年6月15日金曜日

かみなり岬

 わしが現世の「肩身の狭い」仕事

についたのは、まだ紅顔の美少年?

のころでござった。

 いつの間にか「わが国初の」と称す

る試作移動型大電力発信器を引っさ

げて丹後半島は経ヶ岬近くの駐屯地

のはずれに来ていた。

官の研究所の電波発射試験を手伝う

ためである。

その試験をすることになった「かみ

なり岬」は海に突き出した大岩の断

崖絶壁の上層部が土に覆われた形を

していた。

高さが2,30mはあろうかという

断崖の岬の取り付き部は一際狭くな

っていて、何か神秘的な雰囲気も

あった。

入り口の裸の崖を除いて上層部は一

面に草が生え、その周囲は3mくら

いの小松に囲まれていた。

崖が見える入り口の手前の松林の中

には古い「文殊堂」という社があっ

て何か岬に関連がありそうだと感じ

た。  

この岬が「かみなり岬」と呼ばれる

からにはそれだけの訳があろうと

思っていた。

試験装置を展開した岬の草場の下は

岩盤だからアースをとる銅の棒など

は受け付けない。

一計を案じて町で数十メートルのワ

イヤーロープを求めて来て、先端に

大きい岩をくくりつけ海に投げ込み

アースの代わりにした。  

ある日嵐になった。

案の定かみなり岬は落雷の集中する

場所だった。

海中に投げ込んだワイヤーロープの

アース棒のお蔭か機材は落雷で壊れ

なかった。

ただ、試験機と計測ハットメント間

に張ってあった信号ケーブルには、

恐らく誘導雷が発生したのであろう。

ケーブル両端の信号入出力端末の半

導体素子は軒並み耐電圧破壊を受けた。

この岬と文殊堂の海岸側下には見事

な?男根形の大岩と女性シンボルの

割れ目岩があって、なおさらのミス

テリーが感じられた。  

なお、われわれが試験電波を発射し

て何分か経つと、決まって秋田沖か

ら「東京急行」と呼ばれた正体不明

機が南下してくるのがレーダーで見

えた。

恐らく電波の正体探査が目的だと思

ったものである。

バジャーという大型飛行機ではない

かと噂した。