2020年8月4日火曜日

㊿ The youngest friend of main.

もう10年近くなろうか?箱根仙石原の

リソートクラブに通っていた頃、小田原

から桃源郷行きのバスに乗るのが普通

だった。30分に1本のこのバスは混む

ことが多く、発車予定30分前のバスに

乗る積りで並んで待つのが普通だった。

発車間際に大きい旅行ラゲッジ押した

上に、大きいバッグ2個を抱え、首に

長いレンズを付けた一眼レフを下げた

明らかに中国人と分かる大きい体格の

色白の青年が乗って来た。

当然のように空いた席がない上にコロ

付きのラゲッジは箱根の坂を上がる時

は椅子に固定しなければ、揺れで走り

回るから何処かへ固定しなければなら

ない。

僕は取り敢えず英語でラゲッジを僕

の席の取っ手に結ぶことを伝えた。

大きい手荷物も僕の膝の上に置か

せた。聞けば上海から東京の仕事

で着いたばかりで、第一日に箱根

に泊る計画だと言う。

日本は初めてではないらしいが、

いつもは仲間と団体で来ること

が多いので、今回が単独で歩く

のが初めてだそうだ。

途中で降りる人もあって、バス

が空いてきて、やっと車窓の景

色などをワイフ共々、説明して

いるうちに仙石原で我々は降りた。

バスの中で自分のホームページの

URLとメールアドレスだけは伝え

ておいた。

メールを交換しているうちに、彼

がマレーシアの華僑の息子でクア

ラルンプールの大学を出て上海の

米系会社のソフトエンジニアーを

勤めていることが分かった。

日本が好きで、余暇があると全国

の温泉や日本の名所に行っている

と言う。

それからというもの、箱根や伊豆

や湯河原の温泉を案内して歩いた。

マレーシアにはご両親も健在だそう

で、年は僕より若そうだった。

親は早く所帯を持てと言うそうだが

まだまだ一人で旅行している方が良

いと言う。

熱心に僕のホームページのエッセイ

を残らず彼のタブレットにストアし

て、日本語の勉強に使っていると言

う位僕を信奉してくれている。

日本に来るたびに、僕の趣味を忖度

して中国の牡丹の掛け軸だとか現代

の画家の大判絵図だとか、一番驚い

たのが中国の古くて分厚い蘇州絵図

一巻を抱えて日本に持って来てくれ

たのである。

現代日本の青年で、年寄りの友達に

古典の蘇州絵図大冊を携えて来れる

人がどのくらいあるか、想像もつか

ないが、あんな大冊の古典が買える

財力と言い、手土産にする発想を持

てる教養と言い、年寄りの僕が驚く

くらいだから、そんなに多くは無い

だろう。

僕が何かにつけ「ありがとう」と言

うと「そんなこと言わないでくださ

い」と言う。

目上の人から「ありがとう」と言わ

れる習慣が無いのだ。

僕との会話は主に英語だが、彼の使

う漢字は台湾の繁字体で、僕が筆記

文を書くと非常に喜ぶ。

論語の文を書いてやると、話が弾む。

5,6年前に僕の年が78歳、彼の歳が

39歳、丁度半分になった。

最後に案内したのが富士山で予てより

SNSで知古であった富士吉田市の温泉

付き貸別荘Pクラブに案内して、この年

のシーズン最終のバスで5合目まで案内

した。PクラブのTY社長にもずいぶん

お世話になった。

これを最後に、この友人に体力的にも

ついて行けない自分を感じ、決別を申

しでて、了解してもらったと思っている。

思えば上海で米系会社で働くマレーシア

の青年と知り合えて、親戚の様に行動を

共にするなど、非常にラッキーな出会い

であった。

C.Cさん、ありがとう。

いや、何時までも忘れないよ。

ご両親にもよろしくお伝えください。