2015年2月28日土曜日

昭和というたからもの

 昭和というたからもの

2015年も2月が終わった。 何時もはあまり気に留めないカレンダーをめくろうと、ふと絵を見ると懐かしい谷内六郎の絵だった。
各月の絵にコピーライターの岩崎俊一のコピーが入った「昭和というたからもの」という題名のカレンダーである。

2月末に辻堂の岡田稔さんが亡くなった。早稲田の理工出身で、偶然亡弟の泰夫が日産に入社した時、同期に早稲田理工のKUROIWAさんが岡田さんの親友だったご縁があった。
入社は一年先輩だった。 放送機部門からGM部門に換わってこられた。
GM部で永らく一緒に働きゴルフの行き帰りなどに辻堂のお宅にもよく遊びに行ったが、会社を卒業してから病気がちになられ心配していた。
亡弟泰夫が古希前に亡くなってもう10年になるから、喜寿になられたであろう。

ここ数年の内に会社同僚の昭和生まれの若い人も含め数人失ったが、あらためて昭和という時代を思い出すことが多くなった。





2014年11月11日火曜日

ススキ野のローレライ


ときどき思い出すのだ。札幌ススキ野のローレライ。
サッポロビール全盛の頃、札幌のビヤホールNO.1だった。

ドイツ風のセミクラシック音楽演奏の専用ステージと楽団員

中央に見えるバイオリニストのXさん、右端に見えるアコーディオンのIさんは札幌交響楽団員だった。XさんもIさんも他の楽器も熟した。

乾杯のビールを掲げている女性たちが札幌女性合唱団員だとか、この写真にはピアノは出ていないが、皆明るく愉快な人たちだった。


1899年(明治32年)に出来たというから凄い。


この店を紹介してくれたのは札幌・千歳の眞鍋さん(今年確か96歳か)だった。

ご本人は東京外大スペイン語科ご出身だが、古くからの札幌愛好家だ。




残念ながら、時代の波に抗し難く、私が恵庭を離れた頃、この人達とのお別れの会とサインとを貰って、お店は消えてしまった。 

あれから既に十数年経ってしまった。 皆んなどうしているだろうか?


2014年7月14日月曜日

GM同窓会が、はや10年!

 毎年七夕のころ心待ちにしていた仲間に会える。
ミルキーウエイ(銀河)を遠くから新幹線や高速バスやロケットに乗って渡って来るように、あちらこちらから仲間を求めて集まってくる。

隠居もいるし、まだ講釈垂れているおじさんもいる。元気のいい会社現役のお偉いさんもいる。今も綿々と続く、夢工房みたいな会社事業の戦友たち仲間たちである。
今年は過去最多55名が集まったそうな。

 横浜駅東口にある中華本店の結婚式場を借りて、それぞれ受付でクジを引いて座る中華丸テーブルで、幹事団が用意するイベントを楽しみ、やがて席を回って久しぶりの歓談をする。
 GMといういわば新しいシステムだから先頭に立ってきたインテリ・ボス猿たちも昭和一桁後半だ。
気が付くと、ワシより年上は2人しかいない。

この仲間には、会場で大声を出す人もいないし、飲みつぶれるのもいない。
喧嘩をする仲間もいない、むしろあちこちのテーブルから時折笑い声が起こるくらいだ。
昔のオンナノコの顔も見える。
名店の若い男女の接客係たちも、毎年一目を置いてくれる会合なのだ。
「さすがTOSHIBAだ」と係の人が囁くのを聞くと嬉しい。
天下一の可愛い誇るべき優れた仲間たちなのである。

 気が良いので今年も下の名売店で、おみやげに伝統的な中華焼売の小折を2個買った。ジンは今年も「またカッテキタノネ」と苦笑いだろう。
2階の息子たち一家は、ここの焼売の大フアンなのだ。


2013年10月24日木曜日

リベラル会社の仲良し仲間

 会社生活の中、大半を短SAMという防衛機器の開発、実装、装備、展開、維持など、言わば機器の一生を見て関わってきたことは、大袈裟な表現だが、技術者にとって冥利に尽きると言える。
 国の大プロジェクトで、自分たちがメインになってベンダー各社の協力があっての成功は、無論嬉しいが、定年になって会社を離れてみると、もっと大切なことがあったことに気付く。

 
一緒に戦ってきた仲間たち、言わば戦友たちとの出会いと交流が伏流として綿々と続くことである。
その一つは今も毎年50人を超す出席者で続いている東芝GM同窓会だ。

 僕にとって、もっと大切なのが四人衆仲間だ。
一番年上は理科系オタクの自分だが、入社の一年先輩営業畑のYさん、彼に続く5,6歳後輩の営業畑のKOさん、更にその後輩のKWさんは若い時、僕の部下から営業畑に転出し、今も会社現役である。
一緒になって戦ってきた経過を共有しているからだろうが、気が合うのだ。
 
 

 赤ちゃんで満州撫山で敗戦を迎えたKOさんが定年になる頃、「生まれ故郷を見たことない」とボヤく彼を皆で連れて行こうとのYさんの発案で、大連から哈爾浜(ハルビン)まで1週間の列車旅をした思い出もある。
生まれ故郷の撫山で、石炭露天掘りの大鉱山の地底から湧き上がる霧と石炭貨物列車の汽笛が印象深かった。
 

小山敬三の奥さんルイーズさんの横顔を模したと言われる美術館


 
あれから幾星霜、この度は、レンタカーで未だ未踏の信濃追分のYさんの広い森に囲まれた別荘に行き、そこを起点に草津温泉、標高2000m級の万座温泉の紅葉を訪ね、小諸に下って島崎藤村ゆかりの温泉宿・中棚荘に泊まった。
藤村が滞留した昔ながらの風情を残す、名物女将のいる懐古園隣接の千曲川河畔の宿である。
亭馬(チンバ)の自分には堪える急な階段や、天上湯と称する露天岩風呂に至る石段には参ったが、皆の助けで何とか転げ落ちずに済んだ。

翌朝、Yさんの勧めで、近くの小諸町立・小山敬三美術館を見学した。
Yさんが言うように、湯河原の中川一政の画風も備えている。
が、小山敬三はパリの画学校を出た、ある意味では日本の異端の画家だし、中川一政は画学校の経験がない異端の画家だから、共通する自由な雰囲気があるかもしれない。

その後、「牛に引かれて善光寺参り」伝説の山奥の布引観音をレンタカーで遠望することができた。
対岸の地蔵堂?から望む布引観音堂

2013年8月28日水曜日

海と空を見つめた日々

海と空を見つめた日々が懐かしい。
朝起きて宿で朝食を食ってから、レンタカーに分乗して海岸の部隊の射場に向かう。
太平洋に面した射場は左手遠く向こうに小さな漁村が見え、右手向こうは車道の他は無人の岬が見えた。
幅1km、奥行き数100mほどの砂の土手に囲まれた砂浜射場域の向こうは、急な下り土手で波の寄す渚に下っている。

計画した射撃は幾つかの条件が整のう必要がある。
@沖合に船や航空機がいないこと。
@目標の無人標的機の回収する船が安全に出港できる波高であること。
@無人標的機の準備が整っていること。
@全試験機材の準備が整っていること。
つまり、準備ができても沖合に貨物船が現れると通過するまで待つしかないし、沖に白波が出ると待つ、機材不備があるとその担当以外は待つのみだ。
そんな時は、ひたすら本を読むか、空と海ばかりを見て過ごすしかない。
空と海に長い時間向き合って過ごすのは、ここでの時間か、クルーズかしかない貴重な時間だったことに後から気づく。

2013年7月13日土曜日

北海道奥尻島大津波20周年

昨日7月12日は北海道奥尻島の大津波の20周年だと、報道各社が伝えている。

もう20年になるんだあー!あの夜の記憶が蘇る。
TDTの常務取締役北海道工場長の肩書きで北海道恵庭に作った工場に赴任した年だった。
ちょうどその時は、親会社の 社のアンテナ工事応援に奥尻島にTDT社の社員計11名が出張していた。
地震と津波の情報があってから家で飛び起きてから、電話で情報集めに躍起であった。
出張員の安否が心配だ!親の社の人たちも元はと言えば同僚だ。
朝方になって、ようやく社員の全貌が掴めてきた。
出張員たちは、僕も泊まったことがある港を見渡す正面にあったホテルに泊まっていた。
食事が終わってから、仕事で借りたレンタカーで、埠頭の先端に釣りに行っていたらしい。
夜10時頃、大きい地震があった。
慣れていないので埠頭で、まごまごしていた時、誰か(地元の人だろう)が「津波が来るぞう!」と叫んだと言う。
全員レンタカーに飛び乗って、海岸に走った。埠頭のコンクリートがさっきの地震で割れている!
レンタカーを捨て置いて、全員割れ目を飛び越えて、ホテル脇の路地坂を走って高台に逃げた。間一髪、レンタカーは流されたが全員無事だった。
港の機能は全壊、ホテルも全壊、特に僕らが行ったことがある奥尻島の南端・青苗地区は何十メートルもの津波と火災で報道されたとおりの惨状だった。
出張員の全員無事を喜んだ出張員まとめ役のOG君は、その後急病死してしまったが、あのときの様子を嬉しそうに話す笑顔が忘れられない。

2013年6月30日日曜日

今年も同窓会

GM同窓会があった。現役の若手から80歳台のシニアまで、会社の技術部の同窓会というのも珍しいのではなかろうか。しかも、数
少なかった設計補助員の女史2名を含め50人も集まるのだから凄い!
80歳の昔部長だったシニアも、現役時代は随分と激論を戦わして軋轢もあったが、今は偉ぶらないのをはじめ、みんな平等だ。
歴代の幹事チームが 今年もやってくれて、来年からもやるかどうかのアンケートをとったら、全員が存続希望だというから愉快だ。

老いも若きも現役中は新島や北海道静内などに技術試験で同じ釜の飯を食ったし、部門的には会社でも特異な部だったから、団結意識も強かったのだろう。
しかし、何と言ってもリーダーたちの頭の良いリベラルな人格がモノを言っているのだろうと思う。
防大出身のメンバーも含め、みんな上品だ。
会場の崎陽軒の担当・接待の男女の方たちも、格段のマナーに驚くほどで誇らしい。手前味噌ながら、さすが東芝といって良い。

今年は開発の当初から20年以上経つ機材の現状までの様子をスライドで説明したり、歴史クイズを作って、優勝チームには特別料理が振舞われるなど、さすが幹事チームと唸らせる。